金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

使い魔 式神 護法

つい先ごろうちの弟子が来て「呪い」の話をして帰りました。
なんでも知り合いの知り合いが呪術掛けられて衰弱しているらしい・・・と云うお話。かなりきつくて死にそうとか。
「そういうのあるんですねえ、いや、話には聞いていたのですけど、身近にあるとは…怖いです!」ということだそうです。
「呪うって言っても、普通、よくいうように人型を拵えて釘打ったりしてオノレ死ね~!とやっても死なないよ。」所謂丑の刻参り。これは素人の呪術です。
でもそういうのではないみたい。動物使ってかけたというのでこれは素人じゃないな。「その事件、こちらからは近づかないないようにしなさいね。」といっておきましたが「近づくなんてありえません。」とのこと。
私たちはゲゲゲの鬼太郎じゃないから頼まれもしないことにこちらから余計な御世話は禁物です。
冷たいって?でも自分に持ち込まれた縁と、こちらから作る縁では違うのです。だから余計な縁は作らない。切りがないですからね。
これは早い話が動物霊を呪縛して使うのです。これ知っている人は呪術を知っていますから実際にあぶないですね。
師匠から聞いていますがある地方では呪術師が多く、そういう呪術を子供でも知っていて喧嘩になると「ヘビ憑けてやる!」というらしい。亡くなった師匠が若い頃の話だからマアたぶん、五十年已上も昔の話です。今はほとんどないだろうと思うけど。
だから当時はそこのものとは事を構えなかったらしい。
なんだかアホらしい都市伝説みたいですが都市の話じゃありません。昔の山村の話です。
もっとすごいのは事故死した人間の霊を使う、地縛霊を解き放って使うのですね。
使うといったってお願いじゃなくて呪術で縛って相手に矛先を向けさせます。「使い魔」です。西洋の黒魔術も似た構造だと思う。
悪魔と云うのは普通はそういう人間の凶悪な霊です。
いわゆる人外の龍や羅刹、摩睺羅伽のような鬼神じゃない。(彼らは普通むこうからは人間と関係持ちません)
だから術が破られたら、こっちにかえってくる。
元々恨みがあるのは呪術師だからそれこそこてんぱんにやられます。
倍返し、10倍返しです。死ぬことだってある。
企業同士の戦いでもそういうの使う人がいて、術が破られて死んだ人がいるという話を知っています。
 
よく陰陽道で「式神」を飛ばして敵を倒すなん小説に出てくるけど、「式神」と云うのは知る限りでは我々の想念ですね。これを分離して使う。
もともとは自分の念です。むしろ「識神」と書いた方がはっきりすると思う。
意識的に残留思念を作ったりするわけです。
難しいようだけど自然とやっていることもある。
ただ素人が自然につくったのは本人と同じに見えます。早い話が子供を心配するお母さんの念もそうです。
病気で重い病で入院していたら知り合いやお母さんが夢に出てきて助けてくれたなんていうのあるでしょう。そういうのも同じ構造です。
でも、これはなかなか自分の因縁の限界は越えられません。
元々自分ですからね。でも潜在意識は現実の自分を超越しているから相当のことができます。病気祈願で作る「折鶴」もやりようでは「式神」です。
 
「護法」と云うのは実体のある霊体で「護法」と云うように「法」を護るので人を護るわけじゃない。その人が仏道修行や修験道などの修行するのを助けます。大体、これらは自分たちでこれこれこういう条件の人を助けるという誓願を立てていてそれに随って行動します。本尊と行者の仲立ち的存在です。
だからその人がどんなになっても家来のようについてくるわけじゃない。誓願にもとれば離れます。
だから行者は護法の誓願にもとらないようにしないといけない。
要するに同志として助けてくれる重要な存在です。
だけどいつの間にか換骨奪胎して悪霊になっている人もいます。悪事働いているけど術がよくきく行者なんてそうですね。
祈祷がきいているから許されているのだと思っているけどそうじゃないね。護法は出ていくのに愛想尽かしの置手紙なんて書かないからいい気になっているといつの間にか見離されます。