金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

仏教徒不合格の私?

ある出版社の方から神戸の児童殺しの犯人である元少年Aが本を書いたけどどう思うか聞かれました。
どう思うも読んでいないので内容は判りません。そこであらすじなどを読んだ人から聞いてみました。
大体は判ったけどでも、なんでこの本書いたのだろう?何かをわかってもらいたかったのだろうか?
出した出版元もどういう気で出したのかわかりません。所詮は商売だから売れればいいというだけかしら・・・・。

遺族のことを考えたら本当に気の毒ですね。ずーっと残るんですよ。書物として・・・。ますます忘れたくても忘れられないでしょう。
遺族ばかりじゃないですね。少年Aの親類だってどんなに世間で肩身が狭いかわからない。
それを楽しみたいのでしょうかね。この人は。
それとも逆に彼は心のどこかで憎まれることで贖罪したいのかな?
でもそうだとしたらなんと身勝手で浅はかな人間なんだろう。
犯罪と云うのは加害者側も被害者側も周囲も残らず不幸になるのです。
一生重いものを背負わされます。当人だけが牢屋に入って済むようなものじゃないのが犯罪です。
言論も出版も自由だからこれは差し止めたくてもどうにもならないですね。日本では。
公序良俗なんてものはないのかしら?
都道府県の教育委員会もくだらないエロ本なんか取りざたするよりこういうものを取り締まってほしいですね。
讃美したり、影響受けるバカな青少年もきっといるだろうから。
反省なんてないんだね。
書いた本人の元少年Aなんてそういう人間なんだよね。多分。
だから本当はいまさら腹も立たないけど、支援者と云うのに腹が立ちますね。お坊さんもいるらしいですね。
支援者だというならこういう本は出させるべきじゃないと思います。

彼の支援者がいるなら、一方に敵対者がいてもいいだろうと思います。
そうじゃないとフェアじゃないですね。
私は何をするということもないけど心情的には完全にテキタイシャです。
エネミーです。

私は怒るべきことに怒ることを忘れたら人間はおしまいだと思っています。
人間が人間であり続けるために怒り、時には憎むことだって必要なんじゃないかな。
私は元少年Aが殺してなお重ね重ね被害者や遺族を傷つけたことに血の涙を流す日が来てほしいと心から願うものです。彼の敵ですから。
でも、死ねとかは思いません。
せめて生涯苦しみぬいて少しは人間に戻ってから死んでいってください。
それが業の解消です。
このまま死んだりしたら次回は転生してどんな悪魔になるかわかりません。
いまさらこんな本は読みたいと思いません。邪悪な出版元が喜ぶだけですから。
お釈迦様は不瞋恚と言っている。
そんな事云うお前は仏教徒じゃないという方もいるでしょう。
そうかもしれないです。
もしそうだとしてもそれでも人間であるほうを選びます。
この話に腹が立たないようでは私は人間辞めざるを得ません。
そういう人の心を失ったらむしろ「大乗仏教」ではないと思います。
この書き込みご覧になって不瞋恚戒がどうこう言う御方
彼の支持者の慈悲深きお坊様。
こういう話に無関心でいられたら私も良き仏教徒なのかもしれませんね。
残念ですがそう思えません。
だから、親鸞さんではありませんがこんな私にとって「地獄は一定の住家ぞかし」(地獄に行くのは覚悟の上の意味)です。

追伸 フェイスブック元少年Aの著書「絶歌」の不買、差し止め、回収運動を展開中!ご賛同を請う。