この映画を見たかったのは阿部サダヲさん演じる牧本という人間が市役所の孤独死の担当「お見送り課」という設定だったから。
彼は身寄りなく孤独死した人の遺骨を無縁にせず、なんとか遺族を探し出し、故人の宗教に基づき葬儀をあげるという異例な役人。
そんな彼の新しい上司は「そんな無駄なこと!」とあざけり、「お見送り課」を廃止せよと命じる。
「結局、葬儀は残った人間のため、そもそも死んだ人はもうどこにもいないのだ。遺族がいらないということは葬儀はいらないのだ。」
それが上司の主張。
牧本は「では亡くなった人の気持ちはどうなるのか!」と反論する。
最近は情けないことに僧侶にもこの上司とまったく同じ考えの方を見受ける。
この問題は孤独死でなくても現代のお葬式にも言えるテーマ。
例えば遺族が戒名要らないというんだからそれで葬儀もありと考える人もいる。
実際「お経だけでいいからちょこっとあげて」という要請も来る。
本より葬儀はしない 忌明けもしないという聖天行者だから、私自身は要請には答えられない。
だから弟子を紹介しているが、弟子にも「遺族の要求よりも故人の気持ち、故人の気持ちよりも天台の宗義を大事にしろ」と教えている。
僧侶はサービス業者ではない。
いやならやめていただくだけだ。
門下で唯一葬儀をしていた弟子が聖天浴油供にチャレンジ。
わが師以来の聖天行者の掟、聖天で祈願をもっぱらにしていくなら葬儀は避けよ。
いささか残念だがこの時点で葬儀や忌明け法要をする弟子は目下は門下にいない。
葬儀業者にもするのは法事だけだと通達させた。
本人も納得の上での行である。
勿論、聖天尊を鎮守としてお寺や檀信徒を守る存在として祈るなら普通に葬儀もしていいのだ。
どうじに聖天供もして良い。
お葬儀の依頼が喉から手が出るほど欲しいというお寺さんもあるご時世に酔狂な話だと思う方もあるだろうが、もともとわが一門はそういう酔狂者の集まりだ。(笑)