金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ヘイトスピーチ

民主党ヘイトスピーチ禁止の法案を提唱しています。
自民党はこれに対して言論統制になるおそれがあるということで積極的ではありません。
たしかに頭ごなしに「お前ら○○人は出ていけ」的なスピーチは、譬え、その国の政府が何を言ったにせよ。譬え、漁民がサンゴを盗んだにせよ。観光客が京都のホテルで壁から鏡まで外して持ち去ったにせよ・・・その国の人たち全部をあげて攻撃するのは理不尽ですね。単なる誹謗中傷は対立以外何も生みません。

私も中国の批判は良くしますが、中国人即ノーではないのです。お世話になった中国人、仲の良い中国人も当然います。
どんなに仲が悪かろうがお隣さんは無くならないのだからどこかでお互い、折り合いつけてやっていかないとならないのは当然の課題です。
安保法案の集団的自衛権容認は対話の放棄だという人もいるけど。私に言わせればこれこそ交渉そのものです。
ましてや日本にいる○○人は全部敵だとするような発言は論理的でない。
しかし、たとえば同じような問題や犯罪が同じような人種に実際に多発する場合はどうなのでしょう。
それでも文句言ったいけないとなるとどうよ。
それ禁じたら、行進してアメリカ兵は少女に悪さしたから出て行け!も言えなくなるかもよ。米軍基地に反対する沖縄の諸君はそれでいいのかね。

だから、この問題は大変デリケートだと思います。まず。ヘイトスピーチの定義をしないと、軽軽な判断だと外国人批判すれば即引っ張られてしまうかも。
(私も引っ張られるかもね。)法案だすならもう少し考えないと駄目でしょ。
色々なケースがありますからね。
誰も本音で語らなくなるよ。これは臭いものには蓋と云うのと同じ。

日本のヘイトスピーチ民主党さんがオリンピックも来るのに世界に恥ずかしいと言いますが、世界ではこういうのよくありますね。
日本では今までほとんどない位です。
よそのはこんなものじゃない。
以前、上海で日本人の店を打ちこわしや日本人学生を殴るなどの反日運動がありました。これなどはおとなしいくらいで大概こういうのは放火、略奪、火事場泥棒などがつきものです。
こういうことに発展しないようにするのは勿論大事です。
でもスピーチ自体を禁じるのはどうでしょう。理屈を言うなら恥ずかしいと思うのも主観。批判するのも主観ではないのか?それを自由に言えるのが民主主義。
恥ずかしいから口封じしろでは民主主義じゃないでしょう。うちの学校には断じて「いじめ」はありませんと言い切る無能な校長と頭の中変わらない。
民主主義ならヘイトスピーチを禁じるよりも、反対の立場からそれはあんたがいっていることがおかしいだろうという意見こそが必要なはず。

例えば自民党の武藤議員のネット上での発言も憲法の理念を踏みにじる発言があって怪しからんと云いますが、憲法の改正派が存在するなら当然そこには憲法批判もあるでしょう。
そんなの国会で言っているわけじゃなし、個人レヴェルの発言や考えまで公職上の責任追及というのはおかしいね。

それだけじゃないです。障害者の「害」と云う字は漢字で書くと悪いという意味だからいけないなんて極めてクダラナイ「言葉狩り」もあるし、(障害の障はいいの?)女性の看護士を「看護婦」と云ってはいけないとか( 婦がつく言葉で職業を呼んじゃダメというのは逆に女性蔑視ではないの?看護婦さんと云われると言われた人は傷つくのでしょうか? )
どんどん言論の自由がなくなる国、。日本。
最近はそうした言葉の端捉えてすぐに責任問題だのやめろだのと、反論はいくらしてもいいけど責任追及は言論への圧力でしょう。
ブログの発言取り消さない武藤議員も民主主義的にはそれはそれで良いのだと思うのです。
そういう礼儀や常識の領域まで法案にしてはダメですよ。
法治国家と云うのは法が「支配者」です。法は必ずしも血の通った人間とひとつじゃない。
だからそんな「支配者」をなにかあったといってはやたらに作るのはどうかと思う。

勿論ヘイトスピーチも即人種差別であるようなのはいけないですね。
これは法案造らなくても国際法でアウトです。
ヘイトスピーチには組しないけどスピーチだけで取締法案はもっとまずいでしょう。
発言禁ずる法案より以前に良くないことは自主的にしないような品性ある国づくりが大事なのです。
以前の話ですがアメリカとフランスがなんだかでもめた時、怒ったアメリカ人は大量のフランスワインを川に捨てたり、廃棄しました。これを聞いたフランス人の大方の反応は「そうなの。もったいないね。」でした。
こういう反応は素敵だと思います。