金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

奥方に頼む

土地を売却したい信者さんがありまして、しばらく聖天様の浴油をしておりました。
マア、坪単価800万円で売れれば云うこと無いのだが結構難しいかも・・・ということでした。
そこで本人が聖天供のほかに交渉や内覧のたびに別に十一面護摩供を頼んでこられました。
普通、聖天さんの信者は聖天さん、観音さんの信者は観音さんと云う風です。両方拝んでも一つ事を両方と云う人はいません。
祈願によりけりで健康祈願は観音様、商売の祈願は聖天様というふうに分けてこられます。
こういうケースはありませんでしたが結果は希望をはるかに超えた額で落札しました。
両方祈りますから結構ご負担ですが、普段はともかくここ一番という祈願にはこういういう祈願の仕方がいいのではないかと思います。

古来、伝承を見ますと大事の祈願において聖天尊の祈願を早めるとか強めるためには天台方では軍荼利明王真言方では伎芸天などを加えて祈るといいます。軍荼利は能調伏尊ですし、伎芸天は姉(妹ともいいます)です。
つまり、苦手な上司や兄弟の力を借りて祈願をせまるのですが、
私は以前から別して十一面観音を祈るのが最も効果的ではと考えていました。
体験上、大事なコツは聖天供のなかで祈るだけではなく、別に修法することのようです。
十一面観音は聖天女天の本地です。
「権実の天」では男天は毘那夜迦王、女天は十一面尊が本地と云うよりそのまま化身であるということになっています。この権実と云うのは、実と云うのは「実類天」イつまりンドの神霊そのもので男天、権は「権類天」で仏が仮に現れた天尊であり、この場合は女天に相応します。
これに対し男女ともにインドの鬼神、毘那夜迦である「倶実の天」、ともに仏の化身である「倶権の天」がありますが、これは概ね観念のもので、多くの場合は形像の上に明確な違いはありません。でも行者が拝めば・・・なんとなくそういう性格がわかることもあります。

権実の天や倶実の天では、つまり十一面尊は天尊の奥方なのです。
その家の主人になにか頼むなら、上司や兄弟もさることながら奥方に口をきいてもらうのが一番でしょう。
奥さんに頼まれると動かざるを得ないのは天尊も同じようです。
聖天信仰をしているが祈願が今一つ上手く行かない方は別して十一面尊を祈ってみる価値はありそうだと思うのです。
当院では聖天信仰はよそでしてしているが観音様はうちでしている人もいます。
仏教では御縁が大事ですから、当院にも聖天尊はありますがすでにしている聖天様の信仰がある方は聖天信仰はうちに鞍替えをせず、特に問題がないならそこで続けてさせて頂けばいいといっています。
そういう講員の方は他寺院様では聖天信者で拙寺では観音信仰の信者です。

よく聖天信者で自分の信仰している寺で祈願がなかなか叶わないと余所に浮気する人がいますね。
つまりよその聖天さんに行くわけですがそういうのは感心しません。
祈願が成ってどちらにも御礼できればまだいいですが、どちらかわからないので御礼しないでいてはご無礼です。
これはどちらにも御礼しなくてはいけません。ところが祈願ばかりに気が摂られ方々頼みっぱなしでいる。
これが障礙になります。
どうせなら同じ聖天様でなく別な仏、つまり十一面観音様を祈るべきです。
大きな霊場だと聖天尊の祈願も十一面観音様の祈願もしているところもあるでしょうから、一緒の霊場で信仰できるならなおいいでしょう。
別の霊場の場合はできれば十一面様は聖天尊があるお寺のご本尊がいいでしょうね。その場合は聖天供のほうはしていないお寺でも構いません。
それもないなら一般の観音霊場でも祈願している所ならそれでいいと思います。
聖天信仰はベースに強い観音信仰がないといけないというのが当院のスタンスですから、聖天信仰であっても・・・・まず観音様なのです。