金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

霊障と共通理解

夕べ怖い写真がおくられてきました。
体一面に左右対称になにかで叩いたような赤痣が出ています。
こういうのは狐霊がやることです。(生き物の狐の霊じゃないですよ。そういう霊界の生き物です。)
でもそれにしても酷い。
ここまで酷いのは見たことないですね・・・・。
普通はいたずらレベルです。
狐霊のデモンストレーションです。背中を引っ掻いてそれでおしまいは良くあるパターン。
でもこれは殺意すら感じます。
こういうのは「複合霊障」です。
まずなにかの理由で家系か本人が酷く恨まれています。
恨んだ人はもうこの世にいません。怨霊だけが残っています。そこに便乗して狐霊が悪さするのです。
例えるなら誰か悪意を持って玄関を破壊する。するとどこからか泥棒が入って来るというパターンです。
たしかにトラブルもあるようですが生きた人の呪詛や怨念ではないですね。

もしそうならプロのやり口です。
怨念に乗せて悪霊を使う。
そういう邪術はたとえ使おうと練習してもなかなかできません。
邪術はトラウマ一杯でないと駄目です。
自分が心の根に強烈な恨みがいっぱいないと使えない。
人を傷つける権利があると思っている人です。
だって自分はこんなに傷つけられてきたのに…ほかの人がそうでないのは不公平だという理屈?が働いて術を強烈にバックアップします。
普通の人は術を試せば逆に自分が霊障受けるくらいが関の山です。
普通、人を呪うのは自分が理不尽な仕打ちにあって、そのリベンジのために相手を呪うんでしょうが、相手が悪だから懲らしめるのだという正義の?呪いはなかなか聞かないのです。
黒魔術自体が道理の通らないエネルギーが原動力なのですから。
術者自体が運命的に呪われていないとできない。
あるいは家系の黒い因縁の問題です。
そう云う因縁の人では自然に黒い術ができるようになる人もいます。
でもそんなのは滅多にありませんけどね。
この場合も多分プロは介在していません。

相談者から御祈祷しないといけませんか?と言われましたが、本人じゃなく知人の話だそうで、「これって超常現象か霊の仕業では?」という運びにならない限りは「まあ、まず医者に行くことですね。」で終わっておくべきです。
こんなのは本人がそうではないかと気がつかない限り、下手に霊の話なんかしたらその人が変な奴だと想われるだけでおしまいだからね。
テレビで良くあるドラマみたいに霊能者や陰陽師みたいのが横から突然出てきて、訊かれもしないのに「ウ~ム。これは霊の仕業に違いない!早く何とかしないと危ないです。」相手も「やっぱり、そうであったか・・・ではどうすればいいのです。」なんてことにはまずなりません。
霊問題は先ず何より「共通理解」。これが大事なのです。
これは霊現象かも…という可能性のシェアです。
じゃあ、それがないならこういうのは見てもみすみす放っておくの?
そうです。冷たいようですがそれが正解です。

私が霊問題を扱わない理由もまさにこれです。
ほとんどがもう、思い込みで来るから「共通理解」も減ったくれもない。
まして霊的な問題云々の話すら出ない一般的な話の場合は聞かれても「さあ、なんだろうね?」とでもいうしかないですね。
霊よりもそういった霊云々を口にする人の方が疑われてしまいます。
この構造は心理療法と似ています。
「貴方、おかしいから治してあげる」なんてのはダメなんです。
本人がこれっておかしいな・・・と思っていない限りそれは余計な御世話です。
古来、訊かれないことは触れてはならないというのが行者の掟なのです。