金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

霊狐、臨終の一念を語る

臨終の一念は大事だとよく言う。お念仏の信仰などでは特にそういう。

臨終正念。

死が近づく最晩年は人はどんどん欲が薄くなるのが本当だ。

それは良いことだという。

何もかも手放せる人。

そういう人は積み残しがないからいくところへ行く人。

逆にどんどん執着強くなる人は欲が凝っても妄執を残しやすい。

それはどんどん餓鬼が集まっている。波長が合うから。

やがてはその御仲間だ。

妄執を残しても輪廻の旅には出るだろうが、行先はもちろん良くはない。

そして妄執が残留思念となればその影響は死後も続くだろう。

それはそれで欲の悪鬼のようになって残る。

 

霊狐さんに聞いた限りでは殺された人などの念も殺されたことを意識して死ねば怨念となって残りやすい。

死んでみれば次の世はあるものの、殺された往時の怨念は当時のままに残留する。

いわゆる怨霊である。

それを処理してあげないと消えない。

だから怨霊はあの世の存在ではない。臨終の強い念は働きにおいては独立した存在だという。

霊狐さんに言わせれば幽霊は現世の存在なのだ。