金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

飯縄山から帰りました

本年最後の飯縄山まいりが終わって今朝帰りました。
一座行法ですが浴油に護摩、理趣分をして一泊、今朝三時頃車に乗せてもらって本院に帰ってきました。
むこうはもう朝は零度くらいですね。
明日からは京都で二日間御流神道第二会の伝授を受けます。
「もう帰ってしまうのか?」かえりにはなんとなく聖天様が淋しがっているような気がして後ろ髪挽かれますけどそうもしていられない。
師走に入ってから急に忙しいです。
私の法友も東京に出てきて聖天行者やろうということで準備を始動。
聖天様というと人気あるから誰かしら信者ができますけど、なかには思い切り難しいあるいはわがままなご祈願する人がいます。
そういう神様だと思ってくるのです。
やはりご利益が具体的なのは本当だと思いますね。聖天様は。
他の天尊とはそこは少し違う。
でもそうだとすればなにをどう祈願し頼むのかでその人の品位も定まってくるし、拝む側の行者の品位も定まります。
だからその線引きは行者がしておくほかないのです。
受け入れるのはどこまで?あるいは請われるものはすべて無条件ですか?
そこが難しいですね。
拝む側から考えますと・・・。
何を望んでもいいならあなたは一体何を望みますか?
此れって人間性が同時に問われているわけでもあるのです。
帰りの車の中で昏い夜明け前の景色を窓から見ながらそんなことを考えていました。