これは江戸時代以前には最も主流だった神道と云えましょう。唯一神道は三井寺の神道も管見の及ぶ限りはこの流れであったので以前より関心がありましたが、学んでみるとこれはこれでなかなか色々道具立てもいるのでそう簡単はできるものではないですね。
伝授頂いた中でせいぜい私に出来そうなのは護摩ですね。
だから私は仏教の立場からですが天照大神はじめ神祇を篤く崇敬しています。
私の高校生時代には日教組の教師が黒板に「天照大神」と書いてこんなの読めないよね。なんて読むのかどうでもいいけど私も知らないなどと鼻で笑いましたが、このころから私は日教組というものは日本文化の破壊者だと思っていますので一切信用しません。
勿論、個人的レヴェルにおいには人格的に立派な方や他の面で教育的にすぐれた方もいると思いますが、今上げた教師のようでは「我が国の教育者」としてはまず失格です。
また、祈願という場においても実際は知ると知らざるとに関わらず神祇が働くことが多いものです。
私としては神祇不拝を標榜する宗派もありますがそういう宗派の坊さんになるくらいならむしろ神官になりたいとすら思います。
そもそも神仏判然令は最終的には諸宗、諸教を廃し「三条の教則」をもって天照大神一神のみの信仰対象にして、本格的に行き来がはじまった西洋の猿まねで一神教と肩を並べようとする愚かな考えの手始めだったのです。
もともと守護大名の国土経営や幕藩体制で長い間地方行政が主流だった日本の政治が国家にすべて集まり、にわかになれない舵取りをせざるをえないかたちになった結果。大東亜戦争の敗北まで長い間、宗教をはじめ文化の全てが統一的に画一化されて本来の日本文化の自由な有り方が阻害される暗黒時代となったのです。ある意味いわゆる文明開化は物質的には開花であったが一方で日本文化の衰沒のはじまりだったと言って良いでしょう。
飯縄様は天照大神の荒御魂ともいえる存在です。
仏教に諸宗においても日本の霊界は神祇抜きでは立ち行きません。
だからこそ各宗祖師方は必ず鎮守として神祇を勧請したのでしょう。
比叡山の山王権現、高野山真言宗の四所明神、東寺の稲荷明神、三井寺の新羅明神、また曹洞宗門の永平寺では白山権現、日蓮宗身延山では七面大明神、等々。特に日蓮宗門においては荒行の三回目に幣帛相承があり、法華神道を今に伝えていると聞きます。他宗のことながら尊いことと思います。
とりわけ宗の如何に依らず祈願をする寺院においてもなんらかの神祇の祭祀があった方が有益なことは申すまでもありません。