ご高齢ですので命に係わります。
御祈祷は任されていますが、さてどうしたものか・・・。
こういう場合はやはり護摩ですね。
その日の朝に七日間浴油は丁度終わっていたこともあり、直ぐに護摩を焚きました。
私はこういう即効性の時間性の求められることは矢張り護摩だと思う。これに対して、じっくり仕上げたいことは浴油かと思っています。
経過は目下のところは良好で御陰で三日目に管が外れ、ぼちぼち歩くようにもなれそうだとのことでした。
手術、受験、勝負のことは護摩です。
護摩に準じて即効性がある中間的で便利なのは理趣分。
だから普段はこの三つでやっています。
今まで本人がロクに拝んできていないのに恋愛祈願だから愛染明王供でお願いとかいっても実は繋がりません。頼んでいる本人がずっと愛染明王信仰されてきたのならいいけど・・・。或いは行者が良く拝んでいて行者に有縁の尊なら行者の縁でつながれるけど・・・。
信者が聖天信仰はじめてでも結果出せるのはそういうこと。
だから、いきなりやってきて「○○様って○○のご利益あると聞いたから拝んでください」はやらないわけです。
祈願は行者か信者どちらかが有縁の尊でないといけません。
欲望本位でにわかに信仰もしていない本尊をチョイスしても駄目です。
ついでながらいくら護摩に即効性があるといっても受験なんかは何も勉強しないでおいてはダメです。(当たり前ですが)
一番いいのは月々、「浴油」しておいて、そのあと本番は「護摩」というのが理想的ですね。
焚いてるところもあるかもしれないけど、覚禅抄だか阿娑縛抄だかではそれやるといいことも悪いこともあって・・・というよくわからない書き方でした。
でもインドではガネーシャの火供は普通にやられているようですね。
良い結果が出ればそこは何でもいいとは思いますが。