金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ソウルメイトの話

ソウルメイトという言葉があります。
スピリチュアル系の講座などで「ソウルメイトと出会う法」などというのをやっていますね。
ソウルメイトは魂の仲間ですから、その人と出会えばきっと幸せになれる…という発想です。たぶんね。
だから、そういってしまえばこれを「理想のパートナー」のことだと限定して考えがちです。
スピリチュアルな講座の意味でいっているのもそういう意味のソウルメイトでしょう。
もちろんそういうソウルメイトもあるでしょうけど、仏教から言えばソウルメイトは「因縁のある人」ということです。
だからそこは老若男女関係なし。
仏教は三世思想ですから過去世に因縁があれば、今生でそういう出会いもある。
ソウルメイトのメイトはクラスメイトのメイトと同じ。
同じ人生のクラスを生きている仲間だけど嫌な奴もいるし、いろいろです。
因縁なんて言うと急におどろおどろしくなってすみませんが、まあ誤解なきよう言っておけば仏教でいう因縁というのも悪いだけじゃない。
今言った良い意味の「魂の仲間」だってあるわけです。
しかし、注意したいのは誰でもそういう人がいるわけじゃない。
いればラッキーかもしれないけど、今生は孤独の因縁の人だっています。
また宿命のライバルだってソウルメイトです。宿敵というやつです。
項羽と劉邦曹操劉備、信玄と謙信、歴史を見てもいろいろありますね。
信長と光秀、シーザーとアントニオ、ユダとキリストだってそうです。
ラッキーな関係ではないですけどそういう人は皆、お互いが人生のキーマンです。そういうことで次の歴史が開かれる。
私たちは歴史を動かすことはないかもしれませんが自分の人生は良きにつけ悪しきにつけ大きく動くわけです。良くも悪くもそうしたソウルメイトとの出会いによって。
まえに前世療法のセミナーでこんな人がいました。前世で吉原の花魁と逃げようとした。それで門番に賂のお金を渡したら、当日に裏切られて怖いお兄さんたちにつかまって簀巻きにされて大川(隅田川)に放り込まれて死んだという人。その門番の顔は私の母でした。簀巻きにして放り込んだ人は妻の顔でした・・・というケースもある。
そういうとんでもない組み合わせでのメンバーで今生に出会うこともあるわけです。
でも、ふつうはそういうものなんですね。
例えば○○という劇があって登場人物がある。そのシリーズが終わって…また、再開したら登場人物は基本的に踏襲しているでしょう。輪廻転生もそうです。
ただ配役が変わる。
それは前世の宿業を今生で解消しようという初期設定があるからなんだそうです。
その初期設定は誰がする?
神様や守護霊さんというのじゃなくて人としてのより良いかたちで前に進まなきゃという「無限成長」の本性がするのです。まあ、行ってみれば人間の善性ですね。その心が育っていればよりよい人生になる。
心といったって精神活動じゃなく潜在的なもの。仏教では言う「心識」、あえて世間的にそれこそソウル「魂」といっていいかもしれない。
でもそれは輪廻の合間できまること。要するに幕内、楽屋のことです。
芝居が始まったら、そういう設定は覚えていません。
あとはアドリブがすべての人生劇場。どう展開するかわからない。ただ第二幕ではこの配役の人が出てきますなんて言うのは決まっている場合もある。実際幕が上がったら初期設定は忘れて関係なく動くからどうなるかはわかりません。手元のカードはこれだけ、果たしてどれを捨ててどれを残すかみたいなもの。
逆に言えば理想の人としてのソウルメイトなんかなど全く出てこない芝居もあるわけです。出てくると思うのはその方の勝手ですけどね。
いずれにしても人生劇場の主役はあなた。
今日もしっかり生きましょう。
おわりが「めでたしめでたし」になるようにね。
具体的にどうすりゃいいのか?まあ、よりよく生きる努力を忘れないのは当たり前だけど…仏教から言わせれば「回向」ですね。「願わくはこの功徳をもってあまねく一切におよぼし、我らと衆生皆ともに仏道を成ぜんことを」
自分の言動が皆さまの良いことにつながるよう出演者全員を祝福することでお芝居はハッピーエンドの方向に行くんです。