金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

良からぬ祈願するものよ

今朝、十一面観音の護摩焚いていていただきました。
「良からぬ祈願するものよ・・・」
聖天信仰というと良からぬことも叶う。
例えば社会的にどうかと思うようなものも叶うといいます。
でもこれ迷信です。
叶いません。
叶うのは悪鬼ビナヤキャの所作です。
それについての飯縄明神様の言葉です。
「…」の部分は言葉ではないんです。頭の中に一括してデータとしてくるような感じ。
これを解析すると要するに「いかに熱心に祈っていても信仰があるようでないんだ。」ということです。
信仰がないからすべてを任せられないのだとおっしゃる。

たとえば、お金が何としても欲しい。
そこまではいいでしょう。お金はどなたであれ大事で必要ですから。
だから悪どいことをしても稼ぐ。そうじゃないともうからない。
ここからがおかしいんですね。
「普通にしてたらもうからないんだ。」という「決めつけ」が先にある。
つまり「手段」は自分で設定してそれが叶うように考えている。
あの人以外自分の伴侶はいない。だから相手と別れさせて、家庭を破壊してでも結婚したい。それを祈る。
これも同じ間違い。
「あの人以外いない」とこまでは自分で決めつけて勝手に設定している。
そういう手段として悪事まで設定して祈るのはなぜ
要は神様に任せていないんです。
裕福になりたい。素敵な伴侶が欲しい。それだけで十分なのに任せられない。問題のないとこまでチャンクアップして祈ればいいのに・・・・
「それができないのはつまり神仏を本当は信じていないんだ」と明神様は言いたいのです。
いわれてみればまったくそうでしょう。