聖天信仰をしているという気持ちがしっかりあるなら別にご祈祷までしなくても聖天さまには思うこと何でも頼んでみたらいい。
叶うも叶わないも天尊の御心としてそのままとらえる心があればそれも信仰の上の大事な学びだ。
願っちゃだめだとかダメでないとか言ってモラトリアムな信仰するくらいならまず願ってみることだ。
それが聖天信仰だ。まず、行動。まず具体化が先。
だから祈る時は願望を口にして伝えること。
何となくもやもやいした屁のような祈願など尊天にするべき祈願ではない。
聖天様は頼みもしない願望を忖度してサプライズでかなえてくれたりはしない。
つまり祈る側にも祈った責任が問われる。
だから結果はどうあれ、どこかの時点で答えをみつけて受け容れないといけない。