金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

お礼参り

昔から言われていることではありますが、聖天信仰のみならず、現世利益を祈る諸尊信仰のコツの一つに霊験があればシッカリとお礼をしておくということがあります。
拙寺の場合は頼んだ祈祷と同額で願ほどきしていただくことにしています。
そして特にこれというすごいことがなくても一年に一回お正月にお祀りをして付き合ってもらいご挨拶する。
そういうことにしているのもそのためです。
得ならぬ徳を失わないためです。
聖天信仰の信者さんには強制的にそうしてますけど結局、正直な話がそれが親切だと思う。
頼む時ばかりは一生懸命で一番大きな祈祷というようなことまで言うのですが叶ったら、途端にトーンダウンする人がいますが、こういう人は続けて霊験をいただくことはできないでしょうね。
神様が怒るから?
そうではないと思います。
なぜなら・・・
お礼をしっかりしないのは霊験を認めたくない心がその人の中に生まれるからです。
霊験はあったのだけど認めたくない。いや、あれは努力だったとか、偶然だったとかいう。つまりは霊験の否定。霊験は認めたくないという心が動く。
霊験があったのにお礼しないのは良くないという気持ちはどこかにあるのでしょう。
それをしないのは・・・ご利益はなかったのだということにすればいい。
そういうことにしておかないと・・・自分を不義理な人間にはしたくないですから。
どこまでも負い目は負いたくないのが、そういう人間の心理なんですね。

だけどそれなら、もう二度目はない。御祈祷も効かなくなるのです。
受け取らないからね。
受け取らないものは無理やりくれません。
そうしたいなら放っておけばいいんですね。
お礼参りは受け取りの確認です。
昔私の師匠が寺で歳末に感謝祭というのを開きました。でも数年してやめになった。
なぜかというと、聖天様への感謝じゃなくてしまいには自分の自慢にばかりなる。それで徳を穢す。これでは信仰にならないというので中止したと聞きました。
有難うございます。ちゃんとご加護いただきましたということが大事。

そこをしないで知らぬ顔する。
それでなんかちゃっかり得したように思っているなら、それは愚かで残念な人だと思います。
所詮、聖天様を信仰するような値打ちなどない人でしょうね。