金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

待つということの大事さ

私が若いうちはわからなかったことに何でも即断即決しないということがあります。
私は子供のころはグズグズしたのろまで優柔不断な子供だったので、それをずいぶん注意して言われました。
「何事も迅速にそして正確に!」こそが正く輝かしい金科玉条だったのです。
のろのろやっているのは「愚図」で「無能」だという評価です。
それで成長してからは何でも即断即決を重視してスピード重視でやってきたけど・・・

だからなんでも早いのが大事。段取りも、手を打つのも、原稿書くのも、着替えるのも、食事も、トイレも、動物の世話でも何でも手っ取り早くやる。言ってみれば軍隊調です。
人と話するのも要点を早くいってくださいという感じに前のめりになる。
そうしないやつは時間の無駄使い。そうできないのは無能だという考え。
そして出おくれれば制せられるという考えです。
まあ、今でも社会の基本はそうでしょうね。
でもね。
ここにきて重要なことは「待つ」ということだな・・・と最近つくづく思う。
これは若いうちはできなかったこと。
あるいはその「価値」に全然、気が付かなかった。
特に相手のあることは「待つ」のはとても大事ですね。
時間が解決してくれることもたくさんあるし、私の時間と相手の時間が一緒だとは限らない。
こちらのテンポを押しつけられないものもごまんとあるのです。
私は若いうちはそれがわからなかったんですね。
勿論若くてもわかる人はいるだろうけど、それが長い間わからない大バカモノが私でした。
そのころは時計は一つだと思っているから。
一つ時計の元ですべてが競争の世界です。
若気の至りです。
そんなになにもかも生き急いで何があるんだろう。
高速で人生突っ走って早く死の淵にたどりつきたいのかな。
最近は自分でもそう思います。 
 忙しい時にはインスタント食品も必要だろうけどじっくり鍋で煮込む料理だって「あり」ですよね。