金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

飯縄様のスタンス

最近また心霊問題とか聞いてくる方が増えてきましたがブログで再三書いてあるようにやりません。…というより私やれません。
悪しからず。
理由は信仰という共通理解の上で初めてそういう問題は扱えます。
信仰ナシとか、クリスチャン、新宗教とか全然違う宗教なんですがやってもらえないですか?というのは正直どうもならないです。( カソリックの方は神父様に相談してください )
或いはもう自分なりに霊的問題についてストーリーができている。
「これこれこうですから随ってこういう祟りなんです」という具合です。
本当はね、それ突き崩すところから始まります。
なぜならストーリーがあればそのストーリー道理に運ぶんです。主導権はいつまでもその人は握れない。
本当は握りたくないのかも。私ひどい霊障ですからダメなんですっていうことにも利得があるのかもね。
だから引き受ける場合もそのご本人のストーリーをこれ突き崩せそうかな?というところから始める。
こりゃとても防衛きつくて崩せないねェと見ればお断りです。
だって援軍をお城にいれてくれないんですもの加勢のしようがないよね。
極端な話が問題解決したくないんだね。ある意味。
だからそれやると頑固に抵抗する。
或いは遅ればせながら「こいつは俺のことわからないやつだ」というので中途から逃げる。もっと言えばストーリー道理の霊障じゃないとわかるのは困るので逃げる。
だってそうでしょ。
ストーリー道理に今まで来たのですから変更は困るわけです。
抵抗したり逃げたりするのに、あえて追いかけてまでやる理由は私にはないからやらないのです。それでしまいにはインチキ呼ばわりされるくらいが関の山!そんなもの誰がやるかばかばかしい。

ここまでいうと「いや、講員になるのでやってくれ。」と闇雲にいう人もいるけど、目的本位で講員になりさえすりゃいいわけじゃないのです。その辺の理解がないなら、なってもなるだけ無駄です。だから、「講員になりゃやるんだろ」的な人はなってほしくないです。「ならないでいいです。なっても無駄ですから。」とお断りしています。こういっては身も蓋もないけど・・・。
要は問題解決だけをしてほしいんですね。
それで頭の中120パーセント状態。
してあげようにもそんなのはできません。
これはその人の中にちゃんと本尊がまずいてはじめてできることなのです。頭120パーセンじゃ本尊の居場所どこにもないよね。
だから本当は悪魔払いでも本尊さんと自分がするんです。本当は。
私はそれができるようファシリテートするだけです。
必要なの本人の心のパワーです。
私の霊的パワーで追い払うとかは全く違うんですね。
超能力とか霊的パワーとか私はそういうのは全然ありません。
密教で「加持」と言って受け手と施し手が周波数を合わせてはじめてなにかしらができる世界なのです。受信機、発信機どちらが無くても駄目です。だから仏が「加える」にあなたが「持つ」で「加持」です。
天狐通信ご覧の方は飯縄様と会話みたいのしているくらいだから、問題について聞くことだってできるでしょうと思うでしょうけど会話じゃないんです。たまにくるだけ。一方的に。
「はい、次の方はこういう悩みです。飯縄様どうですか~?」なんてことできません。そういうお告げ信仰はちょっと仏教じゃない方へ行きそうで違うと思うのす。第一そんなこと私できませんしね。
そういうお告げの先生もあるけど、うちは違います。
別によそ様の悪口は申しませんよ。
そういうのがいい人はそういう先生を自分でお探しになるほかない。
神道の淵源はもともとそういう信仰です。神との取次ぎをする巫女さんが必要。
男でもいいんです。男の巫女さんは「覡」といいます。
巫に見で「覡」ですね。男性の場合は客観視、外材化する傾向が女性より強いので、ダイレクトに神様が依り代にお入りになるというよりは霊視みたいな方が多いんでしょうね。
今どきのバイトで来るような頭をヘアカラーで真茶色に染めたようお方でなくホンモノの巫女さんがいないと駄目だった。
初詣や大祭に駆り出されているのはおおむね宗教的コンパニオンみたいな皆さんですから、ほとんどが実際の宗教者の巫女さんじゃないですよね。これも悪口じゃなく事実です。
飯縄様は仏道修行に必要なヒントくれるだけです。
例えば私が個人的に悩んでいて飯縄様にお聞きしても何も返らない。
もしも何か返ってくるとするなら多分「知らぬ。」というでしょう。
一々「これ、これ、こうせよ。」などとはいいいません。修行はあくまで本人が考え本人がするものだからね。
その気づきこそが修行です。
例え個人の問題でお告げがあった場合でもお告げとして話していません。
だって道理が通っているならわざわざ「お告げです」なんて持ち出す必要ないですものね。
普通に話すだけです。「こう思うんだけど・・・」と。
もっとも暗黙の裡にそんなのやるは無理だろうというメッセージは来ることあります。そういう時は「できると思うのか?」というだけですけどね。
そういう場合でも飯縄様が無理だと言っているとは口では言わないけど。結論は決まっています。
これは占いも一緒。いわないこともある。いうべきでないと思えば。
飯縄様のメッセージがあるとするなら、そこは宗教者も信者も一般も飯縄様には関係なし。この人はよそから来たお客様で…なんて区別はないんですね。
そういう方です。
飯縄様から見れば必要なことは皆、同じように前に進むことだけです。

天狐通信は私のブログの最もマニアックな部分ですから、唯一フェイスブックにあげないんですけど、ちょっと大事かも知れないなと思うので今回はあえて上げてみました。