「輪廻するとも仏道を証することうたがいなし。」
飯縄様の信仰はそういうことだという。
飯縄信仰はストレートに極楽行くんじゃない。
六道を巡りながら修行する道。
でも必ず仏道を証する。お悟りに達するという。
西に沈む夕日 この彼方に極楽を夢見る。
輪廻しないで極楽行かれればずっといいじゃないかという人もいますね。
念仏信仰は否定しません。でも極楽行けるのは素直な方だと思う。阿弥陀様の本願がすっと入る。
でもよく見ると四十八願の中には現世利益的なものもある。
衣服が得られる。お顔が美しく皮膚滑らかに。
神通力が得られ、弁舌や智慧が得られる。
しかも経文をよくよく見たら転生し人間の男性になれるとか、地獄や餓鬼、畜生には転生しないとあるから一番うまくいけば極楽なのでそこまでいかない人にいるわけだね。
そう思う。もれなく極楽にご招待じゃない。
そこは経典を読まず十念往生とだけ思い込んでいるから夢にも思わないんだろうね。
私なんかは極楽にはいかないと思う。
正確には行かれないと思うですね。
笠置山の定慶さんは色々仏典・論書をみて自分の修行と照らし合わせ「ああ、私は極楽は無理、及ばぬ身だわ。補陀落浄土に行くのが関の山」といったという。
私もせめて補陀落浄土は行きたいなあ…と思うけどどうですかね。
定慶さんみたいな方がやっと行くんだから無理でしょうか。
だから飯縄様に面倒見てもらってまだまだ六道をさまよう覚悟はしています。
もっとも飯縄信仰と極楽信仰と二口かけてあってもいいとは思うけど(笑)