大森先生の話では弘法大師は兜率天の内宮に行かれたので真言宗の行者は何となく兜率天浄土へ行くようなイメージが強いらしい。
興教大師 覚鑁様などは阿弥陀信仰があったけど、古儀派真言宗ではあまり阿弥陀信仰は言わない。
お不動様の頂きの蓮華は行者を頂戴して都卒浄土へ連れて行くという。
だから不動行者は都卒往生が本来だろう、
前にも言ったが三井寺は弥勒さまが金堂(本堂の古い言い方)におわしますのだから本来は都卒往生信仰の寺だったのだろうと思う。
昔は少なくともそうでしょう。
如意輪観音は弥勒菩薩と同体ですから、極楽行くのか、兜率天行くのか難しいね。
選択制かもしれませんね。
修験道も吉野の蔵王権現は弥勒の化身とされているから本来は都卒往生でしょう。
兜率天浄土は方便有余土で、極楽のような究極的浄土とは違うといいますが、私ら凡夫は下品下生に生まれ極楽の蓮の中で二十小劫待つのか、兜率天の内院に生まれて五十六億七千万年のちの龍華三会を待つのとどっちが早いかな・・・。
因みに飯縄の行者もいく先は兜率天浄土ということになっていますから、もしも本当に兜率天に往生したら極楽浄土の皆さんとは当分会えないね。