法華経では生まれ変わりに死に変わりして大通結縁(法華経を輪絵しながら広め、大乗の菩薩を作る)するのが大乗菩薩という。
でも極楽浄土に行ったら二十少劫もの間蓮のつぼみで眠ってていることに・・・
天人が1,000年に一度下りてきて大岩に天衣をこすり、その岩が亡くなるのが1カルパ.すなわち一劫です。
少劫の単位は知らないけど短くはない。
だから法華一辺倒の日蓮上人が浄土門を論難するのも無理はない。
そんなことしてたら法華弘通などできない。
天台は極楽浄土への往生もあれば法華の思想もあるけどどうなのだろう。
どちらかを否定しては天台の教えではない。
碩学の答えを寡聞にして知らぬ。
愚痴浅学にして思うに天台は法華一乗が柱。
極楽浄土はやはり方便門だと思う。
この法華の輪廻をいとわぬ考えは理趣経百字偈にも通じる。
密教も同じだ。
したがって法華の行者においては輪廻しながらその先々で弘通するというのが本道だろう。
他方来の菩薩である妙音菩薩はこの娑婆世界をいとわず、法華弘通の意志を示している。それが法華経の真意だと思う。
極楽に行く人々は法華弘通の縁にいまだ触れぬ人が多いのではないだろうか。
まあ、一般の方は菩薩道など意識しないから極楽往生の道の方がおおいだろう。
勿論、それはそれでおおいに意味がある。
彌陀さまはじめ種覺尊にあいたてまつって修行し、十地の菩薩になってから、還相回向というのもありでしょうから。
随って私は天台の菩薩僧は浄土への往生ではなく大通結縁を目指すべきだと思うのだがいかがだろうか・・・