金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

才能のおはなし

わたしも今までやってくる中で迷いもないわけではなかったんです。
若いころは父は会社のあとをやってもらいたかったし、「なぜ、密教行者なんてなんて変なものになろうとするんだろう。」「何が悲しくて坊主になるんだ?」と思っていたことでしょう。
それにもまして「今どき加持祈祷か?」ってことですね。
時代劇じゃあるまいし、そんなのがあるの?
それで父が師匠に「うちのせがれはその行者というものになれますか?」と聞いたら「わかりません。」「僧にはなれても駄目になる人もいれば、それで生活はできない人もいますから。」でおしまい。唖然としたそうですが。
でもね、考えればそりゃそうでしょう。例えば息子がお笑い業界に入った。親父がその師匠に「うちの子はお笑いで食えますか?」と聞けば同じ答えでしょうね。
でも「そういう不確実なものになって一体人生をどうするのだ?」というのは等しく親の言うところです。これも普通、当たりかもしれません。
それで連日喧々諤々で母はしまいに、「そういう仕事はふつうできることじゃないだろう。一遍そういう人によそでも行者になれるか否か、お前の「才能」を見てもらえ。」というので何人かに当たりました。

一番最初は近所の霊場で霊感占い鑑定しているおばさんでした。
「それは無理です。ウ~ン、アンタは水商売するといいわよ。」といった。
鑑定料はいいから、肩が凝っているのでもんでくれというので揉んであげました。気さくないい叔母さんでした。

二番目は大田区の糀谷に住んでいる神道系の霊感行者さん。この人も女性。
結論はいろいろ話をしてくれましたが「無理です。悪いこと言わないからやめなさい。私も息子なくしたけどそれが予知できなかった…。お供物のリンゴがみんな笑み割れてしまっても気が付かなかった。結局人の事あれこれ言っても自分のことはわからないものだ。」という悲しいお話でした。

八咫烏を祀る真言宗の滝行者の先生にもおあいしました。この人も女性。結局全員女性でしたが。
「あんた、天台で行やってるの?フ~ン、でもアンタの家の因縁は真言だよ。」
それは事実なんです。家は父母とも代々真言宗
「行者は滝行をやらなきゃいけない。密教の行法やるだけじゃだめです。それと、これからは神道佛教両方やらないといけません。アンタ弟子にしてやるから月の半月は働き、半月はここにおいでなさい。そのうち高野山でも熊野でも行きたいとこに世話してやろう。」というありがたい話でしたが、この人は聖天様や荼吉尼天は悪魔なんだから拝んじゃ駄目との事でした。むろん鞍替えする気は毛頭ありません。
なんとこの方、滝行のやりすぎなのか夏なのに毛布にくるまっていた。体温落ちちゃったんですね。
それで、その次の月亡くなったのを知りました。南無阿弥陀仏


最期は法華の行者でN先生。著書もあった人です。
電話だけですが、最初お弟子さんが出て、相談にうかがいたいからこれこれこうで予約の話をすると先生が出てきた。「Nです。話は聞いた。…あんた、霊感は1から10までとすると89はあるようだね。でもこの仕事は10なくちゃダメなんだ。」
別に霊感のお話はしていないけどそういわれました。
「私は弟子は大勢いるんだよ。だけどものになったものはひとりもいません。古い弟子でも実際、霊感で鑑定してみなさい。間違いを怖れすぎちゃだめだ!結果は全部私が責任とってやるからドンといけと言ってもできない。…だからこの道は難しいのだ。…おやめなさい。」でした。
もうご高齢の尼僧ですが、でも「結果の責任はとるからドンといけ」というのはこの人は実に「かっこいいなあ」と思いましたね。スカッとさわやかです。
やはりこの方は「師の器」なんでしょうね。


そんなこんなで誰ひとりも私が行者になれるという人はいませんでした。
まあ、それでも決して大した行者ではないかもしれませんが、ご存知のように一応はなんとかなったはなった訳なんですね。皆様のお陰様で。


実はみんなに駄目と言われて火が付いたんですね。
よし、全員がダメだというなら「石にかじりついてでもやってやる。」と思った。
これがダメだのオーケーだのいりまじったらまた迷ったことでしょう。
決して皮肉じゃなく「駄目だし」てくれた先生方のおかげなんです。
四人の先生方には感謝です!
だから「その節はありがとうございました。おかげで何とかなりましたよ」と言ってお礼参りに行きたいけど皆死んでしまいましたね。きっと。
私が20代前のころのお話だから。


最期には私の母がしてくれたある画家の話で決心しました。
それは「才能」とは何かの話。
ある画家がいたそうです。その人は長年絵をやっているんですが全然いつまでたっても「うだつ」があがらない。
それで「もうやめようか」と迷って師匠のところに相談に行った。「長年やっていても駄目だし…私は本当は才能がないんじゃないかと思うのです…。」
すると師匠は「ウ~ン、・・・そうか。」としばし沈黙。
「けど…お前さん、もしそうなら才能がないからもう絵はやめろと私が言えば、…そういえばやめるか?」と聞いたそうです。
「…いや、やはりそうはいっても、やめられないと思うんです。…」とその画家。
「お前さん。ね、才能ってのはそういうものだよ。お前なんかの絵は駄目だと言われてもやらずにおれないものだ。描かずにいられない。それが才能だと思うよ。」といったそうです。