金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

なぜ「若者に強く言えない」超草食系上司が増えているのか? 

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それはそうでしょう。

少しでも強く言えばパワハラ上司と言われるしね。

注意するのもニコニコと手もみでも「○○君、ちょっと来てもらえる?

でね、ここちょっと違うみたいなんだわ・・・。悪いけどもう一度見なおしてもらえるかな~【笑顔】」なんていわないといけないかもしれませんしね。

叱咤激励という言葉はもはや死語かも。

 

叱られれば変われるものを叱らずにおいて、できなければ「とっても残念ですが・・・あなたには向いていないようですのでお辞めいただくことに。」などと言うのは親切なのかなと感じることもある。

ある意味そっちの方が厳しいというか、冷たいというか。私なんかはそう感じる。

何が正しいではなく世代によって違うだろう。

でも仕事憶えるよりも怒鳴られたことがショックという人はそう接する以外ないですね。

人を育てるのが難しい時代だ。

 

仕事ではないが、拙寺の弟子も「これはいけるな。育てるに値する」という人以外はお客さんに準ずる扱いに終始しています。

例えばお手伝いしてもらいたいことも「お前、なぜ、みすから手伝いに来ないのだ!」というレベルはごく少数。

あえて来て欲しいと声もかけない。

こちらからお願いした人には「今日は本当にありがとうございます。すみません。」でお食事、お土産付きだ。

 

私の修行時代なぞ、外食と言えばあとにもさきにも過去に一度だけ食事に連れて行ってもらっただけだ。

それは師匠の言いつけで楊の木を切ったときのこと。

※玄関に楊は不吉ということだった。

御隠居様から「その木をなぜ切った!?切らす方も切らす方だが、切るアンタもアンタだ!」とえらく怒られた時だけ。

自分の言いつけで叱られて気の毒に想ってくださったのかもしれない。

それだけだ。そういうものだった。

 

厳しくしつけられればこそ独立した行者として立っていける。

今でも亡き師匠にはずいぶん甘くして頂いたと思っている。

おそらく、できない奴と思われていたからだろう。

だから専門行者を目指す人でのお客さん扱いはしない。

私は師匠から丁寧に言われると「今の私はまだ弟子だと思われていないんだな・・・」とショックを受けて反省したものです。