金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

「不幸の団子」は作るなかれ

昨日のことですが御兄弟が若年性の認知症で自暴自棄になり、父上は重篤で入院、明日をも知れないうえ、12歳の猫ちゃんがもう死にかかって酸素室に入ってしまったというお電話を頂きました。
もう混乱状態で泣いておられた。
お気の毒です。
でも、こういう良くないことをいくつも抱えているとき、あるいはそういう事態に陥った時に、とっても大事なことは「不幸の団子」を作らないことです。


時同じくして起きているので、運気を鑑定すれば実際にこういう時は単純に見ても星周りも悪いのです。ちなみにこの方は二黒土星ですから南の五黄殺に重なっている。五黄殺同会というものです。
ただしこういう時に「不幸の団子」は作らないこと。つまりそういう不幸はみんな関連しているとか思うのはいらぬことです。
お父さんの病気、御兄弟の病気、猫ちゃん悪健康は皆それぞれ別問題です。
こういうのをひとまとめ、つまり不幸の団子にしてしまうのは「なにか核となる原因」があると思うからなのでしょう。
そう思いがちなのはわかります。
でもそれは「思考の癖」でそんなのあるとは限らない。
むしろないのです。
それをまとめるとするなら「五黄殺同会」、つまり星周りが良くないということになるけど。五黄殺はそういう良くないことが起きている「時期」だということを物語るもので、「原因」じゃない。
ここが大事です。
天中殺だろうが破門殺だろうが天戦地冲殺だろうがそこは同じです。
原因ではなくそういう時期だということです。
まかない種はえない。よいものでも悪いものでもカルマにないものは出てこないわけです。
春になって邪魔な雑草が出てきたからと言って春のせいにはできないです。そこに前々からよくない種があったということです。
ないなら生えない。
だから不幸の団子は作らないで解決するなら雑草を一つ一つ抜くほかないんですね。
全部別々に考える。
人間には全部関連づけて考るクセがあるけど動物にはそういう不幸の連鎖の考えがない。
だから彼らはへこたれないし、たくましいんです。
例えば餌が手に入らないのと、ねぐらがよその動物に奪われたのは別なことなのですね「ア~ついてないよ。」なんて思わないです。
たんたんとおなかがすけば餌を探し、疲れれば安全な次のねぐらを探すだけ
そうすると意外と処理しやすいんです。
一つ一つ順にかたづくと、加速度的に問題は解決します。
実は「不幸の団子」を心で作ってしまうと不幸の核を破壊しない限り悪さは解決しないという前提ができます。そうなると身動きできないんですね。でも、そんな核なんて実はないんです。
 
そこのところを「何とか殺」ということでまとめて祈るのは実はそういう星はダミーなのですね。
ダミーなのだけどそこに仮にまとめてしまう。
五黄殺なんて実はどこにも実在はしないんです。ものとしてはね。
これが「五黄殺」だなんてシロモノはない。
五黄殺もいってみれば「不幸の団子」だけど処理のための団子です。
ここが違う。
つまり解決のための団子なんです。術ではあえてそういう団子を作って処理する。
だけど解決の方法論がないならそういう団子を作っても意味ないんです。一般の人の作りがちな不幸の団子はこっち。
もっと心配が増加するだけ。


「五黄殺」でまとめて御祈祷とかして処理しまうことでかえって、その人の中の「不幸の団子」が崩れて物の解決が起きてくる。


だから私の師匠は私がまだ御祈祷できないうちに「占いだけとりあえずやってみたい」と言ったら、「行者のくせに祈祷で解決できない無責任な『見るだけの占い』などやるものでは無い」と教えられました。ただ「不幸の団子」を作って呈示するだけなら罪つくりですからね。
占いにはまって 解決の提示できない占い師さんのところに四六時中行くとそういう不幸の団子つくりの名人になります。
必ず解決策のある占い師さんに行きましょう。