金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

極楽という未来ヴィジョン

浄土系の方は死に顔がきれいとよくききます。
昔はいい年に成ったら極楽往生というビジョンがありました。
日蓮宗ならば霊山浄土でしょう。
どちらにしても死後の世界の冥福に心はせることができました。
今のお年寄りはそれがない。気の毒だね。。死んだらおしまいとしか思わない。
だからそういう方はいい年して…と言っては失礼ですが何時までも財色食名睡の五欲にしか興味がないんでしょう。
お孫さんとかいる人はまだそこに望みを置いたりするけど、だれもいない一人のお年寄りはそういうのもない。
昔は年をとったら誰でも信心を起こしやすかったけど、今はそういうのは希薄です。
私は自分よりずっと年配の人から「あんた死後の世界なんてあると思うの?へ~若いのに科学的じゃないんだね。」などと言われてきました。
極楽でも霊山浄土でもそういう未来へヴィヴジョンがない。
年配の古い信者さんで「仏様を信じたいけど信じられない自分がいる。信じられたら幸福なんでしょうけど…」と言って亡くなっていった人もいます。
でも月々お札は頼んでいるんですね。
信じたいからなのかしら。
そこはわかりません。
世の中科学的になって何でも実証しないと気が済まなくなったから昔みたいに極楽はあるとボンヤリ思うだけじゃ物足りないんでしょうね。
昔の人だって死後の世界を知っていたわけじゃない。
誰も死んで返ってきた人はいないからね。厳密には死ぬということは二度と生き帰らないことですから。
でもアバウトにそこは信じていたんだと思う。
だから現代人が極楽だの浄土だのが強く信じられなくても必ずしも昔の人より信仰が薄いわけでもないんだと思うのです。
親鸞さんだって吉水の草庵に善鸞さんに騙されて念仏往生の秘伝をもとめて訪ねてきた信者さんたちに「いやあ、念仏して極楽いけるかどうかはホントは私知らないんです。私は何やってもピンとこない人間なので法然さんの教えにかけただけ。
それでだめでももともとなんです。むずかしい学問的なことは比叡山か南都の僧侶方に聞きなさい。本来わたしにとっては地獄は行くべきところだとまで思ってますから。」とまで言って突き放している。
いいですね。
私はこれが親鸞さんの悟りだと思う。浄土真宗はどういうか知らんけどね。
思うに十念すれば往生浄土するということと日頃唱えることは矛盾があるけど、意味が違うんだね。
日頃唱えるのは極楽というヴィジョンにアクセスしたいんでしょう。楽しいから。それだけだと思うし、それでいいんだと思う。
だって死んでからそんなすごいいいところへいけるなら楽しいじゃないですか。早く死にたい?(笑)
昔私の師匠寺に信者でいて、途中から真宗でお得度して、お祭りに来ては何かと揚げ足執るご老体がいたけど、その話聞いたとき「そんなことグズグズ余計なこと抜かさずに、とっと往生すりゃいいんだ。」といってやったら、なんとその方がすぐ隣にいた。いやはや、タイミングが悪いというか、いいというか。
同じころ、真宗系の新宗教の人に逢って「あんた、密教なんてものはね、親鸞さんも比叡ですごくやって成就していないんですよ。よく考えてみなさい。そういう偉い人がやって成就しないのにあんたみたいな人がやってなにになるの?出来るわけないでしょう?」といわれた。「悪いけど親鸞さんは密教向きじゃなかったんでしょうよ。私は念仏じゃなく密教向きなのでご心配なく!」といいったら頭から湯気立てるように怒ってた。
でもそれ以上何も言わなかったね。ザマアミヤガレ!
でもこれ天台は圓、密、禅、戒、浄土といろいろあるってことはそういうことなんですね。人それぞれ。
天台宗の教えでは極楽は己心の浄土なんだというのですね。
だけど、実土としての極楽がないならないでもいいけど…あるかもしれないんので一応はお唱えておきます。