金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

神仏は気ですか?

私が気功を少しばかりやってた頃、ここは気がいいとか悪いとかという話よく出てました。
確かにそういうのはある程度いえると思いますね。
でも今思うと…それは気功でいうような「気」ではないと思うのです。
アンテナがよく働くこと自体はまあ、気功の効能でしょう。
ずっと前ある講習会であったお寺さん、気功師の人がやって来て「ああ、ここは気がいいですね。本尊様はすごい気が出ていますねっていわれたんです。」とお喜び。
そこまではベリーグッド!
大変結構ですが、その住職、そのあとどうしたらもっと気が良くなるんだろうと考え出した。
彼の頭の中では「気=仏」という公式ができてしまったわけです。
それで本堂で熱心に気功の練功をしだした。
それで本堂の気が良くなったと喜んでいる。
しまいにはこれで悟れるとまで言い出す。
これいらぬ算段です。
気功をすることはいいんですがこの考えはバカやね。
だってその道場って気功したからよくなったわけじゃないでしょ。
よく拝んだからじゃないの。信者や先代が。
気功やること自体は大いに結構ですよ。私もしてたし、おすすめします。
正しくやれば健康にいいから。
だからこの話聞いた時も「そうですか。そりゃあよかったですね。」としか言いません。
別にやめることはないからね。ご本人も喜んでいるし。
まちがいは何か?
つまり霊場や仏像、さらに神仏のの価値は「気」だと思うようにうなったことですね。
神仏をそれで測る。
それまちがいです。
だって気が強く出ている人だってものの筋道や考えが全く間違っている人は山ほどいるし、人格に問題ある欠陥的な人もいます。
霊能者、超能力者も同じですね。パワーが強ければ人間的にもいいかというとそうじゃない。
ましてや神仏はそういうのでは測れないですね。
例えば、逆に霊験があっても悪魔調伏なんてほんとにやると空間は修羅場みたいにずたずたになる。
そういうところに敏感な人が来合わせばウワ~ここは何?!絶対駄目ってことになる。
霊威を感じること。
それは働きが強いということですね。
でもこちらが感じ取れないものもあるかも。そういう謙虚さがないと失うね。
信仰を。
実際そういう気功師を信仰している方もいます。霊能信仰と一緒。
信頼している気功師が亡くなったんで私に来てくれという。エ?私、気功師じゃないですよ。なにか勘違いしていますせんかって感じです。
そういう人は気功の先生が命。
いちいち気がどうのこうのって見てもらう。
甚だしくはニーズがあるのか、お祓いや祈願みたいなものまでしている人も。
そういうのはあっても別にいいけどあくまで仏教とはかぶっても別と考えないと信仰を誤ります。
仏教自体はそういうものじゃありません。
気功は素晴らしいものだと思うけど…気功は気功です。仏教は仏教です。