金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

気と密教 プロということ

 気功の気と密教の加持力は全然違うものです。

しかしながら特異効能といってかなりの不思議を行える人もいる。

だが聞いてみると気功でそうなったというよりもともとの素質の方が大部分のようです。

気功を習っていた中国人老師に聞いてみたら「わが中国には十億人以上の人間がいる。そういう人間は珍しいけど確率的に存在する。」という。実に共産主義国らしいものの考えです。

気功を練習することでそうなることができるのかと聞くと「走ることは誰でもできますね。でもオリンピック出る人はほんのわずかでしょ。同じことだよ。」と言われた。

 

私は気功も勉強しましたが、そういう場では一切密教の話などしない。

聞かれもしないのに自分の話もしない。

こちらは学びに来ているのだ。タダの生徒がそんな余計なことをしゃべって威張っているとか生意気と思われても何一つ良いことはないからです。

 

これはまた別な道場でのお話。

それでもこういうことがあります。長くやっているとどうしても素性は知られる。

ある日、私の師匠ではないのですが、気功の先輩格で指導者でもある人から「ある場所を浄めたいんだよね。羽田さん、密教ならどうやるの?コツみたいの教えてもらえないか。」と言われました。

どうも幽霊のようなものが出るということでした。

そういうことが簡単にできるなら修行はいらないのだが…ちょっと教えてもらえばこういう人は自分にも簡単にできると思っているらしい。そもそもコツを聞くというのは基礎ができてる人間の言うことだ。

それも密教は伝授しないとダメであると百も承知で聞いている。

なぜならば、根底に気功も密教も要は同じようなものという考えがあるからでしょうね。密教の前提が伝授や手順であることも知ったうえでそういうのですから。

 

どう思うのも人様の勝手だが私は違うと思っています。

 

こういう人に「それは違うんですよ」と言っても無駄だ。

結局はコイツ、俺に教えたくないんだろうくらいにしか思わない。で無けりゃ軽く聞いてくるわけがない。

大体自分の方が私なんかよりはるかに上だと思っているようだから、私から「密教とはそもそも・・・・」という蘊蓄を垂れられるのは不愉快だろう。

同じ仏教者ならその考え違いをきつく言うところだが畑が違うからおそらく全く理解しないだろうね。

要するに信仰抜きで「密教を気のエネルギーを出すテクニックか術」としか見ていないのだ。

 

 

そういう時に信仰云々の議論はしない。

聴く準備のない人に言ったところで気分を害して険悪になるのが関の山だ。

物を教えて悪く思われる筋合いはないもの。

「ああ、密教では光明真言の土砂加持というのがありまして土砂を加持して蒔いたりしますねえ。」

「へ~加持ってどうするの。教えてよ。」

「まあ、そのための印や真言があるのですが・・・そんなのしなくたっていいでしょう。先生は気功師だから気功のパワーを砂に込めて蒔いてみりゃどうです。」といっておいた。

「そうかあ、そうだよね。」

何せ日本の百人の有名気功師の一人だと自ら豪語していた。

 

後日「やってみたよ。いやあ、よく効いたと思う。実感があったよ!」とえらく喜んでいた。

どう効いたのか知らない。

この先生もそれ一回で辞めておけば無事だったと思うが、自信を持ったのか自分でも応用してなんだかそういうようなことをずいぶん方々でしたらしい。お金もかなり高額にとっていたようだと聞いた。

要するに自分のエネルギーと仏の加持力を同じだと思っているのでしょう。

しかし数年の後、あっけなく亡くなってしまった。そういうことを聞いた。

癌だったそうです。

 

その先生から外気治療を受けていた人がたずねてこられ「先生は気を照射しながらそのうちに自分が寝入ってしまうことが多かった。なんだか、わからないけどよほどお疲れだったんでしょう。」と言われていました。

余談だが外気照射はクライエントが気功を実習しているからこそ効果的なのだ。格段の効果の違いがある。この人はされていないようだった。

自分のエネルギーをとことん使い切ってしまったのかもしれない。

どういっていたのか知らないが、その人は私のことは彼の先生から聞いていたらしい。

 

その先生、可哀そうじゃないか。お前が不親切だ。という方もいるでしょう。

でも尋ねられもしないのに人の考えや方向をただすようなおせっかいは私はしないんです。教えは相手に受ける態度がなければ教えにはならないと教えられてきましたから。

そのようなことをしてはならぬ!と教わってきた。

その人もある意味プロとして生きているのだからね。

何で注意してあげないの?と思うかもしれないけど・・それは失礼でもある。

「それで飯を食っている人間がそういう甘えは通用しない。」と私は思っています。

同時に私に対しても人様が親切に一々意見をただしてくれるものだという考えも毛頭ありません。

すべては自業自得だ。それがプロの基本。