金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

湛海さんの話

聖天様の修法をしたいという人がいますが、あまりすすめないですね。
なんのためにしたいのでしょうか?

江戸時代の傑僧、浄厳和尚は聖天供をしては駄目な理由に

1、富貴世楽をもとめれば仏法は滅びること。
2、聖天を供する人に弟子を失う人が多く、跡継ぎが難しいこと。
3、聖天様に帰信すれば永く魔民となる
  としています。

別に私もこれをそのままそうだとは思っていないですけど…反面どれもある意味言えてます。でも、これが浄厳さんが肌で感じた聖天行者の実態だったんでしょう。

 1 は論外ですね。世福や歓楽のために聖天行者になるのは。
同じ福でも寺院や仏法の興隆の為なら分かります。たまにいるけど在家の人で将来、どうしても聖天供して栄華を極めたいという人。
でも私は人のことは笑えませんね。
まるきりの在家時代は聖天供やるとそうなるのかなあ…とは思っていたんで。

 2 は結構、言えてる。第一に聖天さんは難しいのでやり手はないし、葬式してはいけないというので普通は食えないよね。この間もある聖天様のお寺で後継者がなかなか・・・という話が出た。
聖天様のお寺やるにはもう聖天さんと夫婦にでもなったつもりじゃないと無理。でもそういうの辛いので後継者が聖天様の修法やめて滅罪寺院にしてしまうことも少なくないようです。
代々住職は独身じゃないといけないある聖天様のお寺。
そんなバカなこと!と言って結婚したら奥さん死んでしまった。
めげずにもらったらまた死んだ。むかし、今東光大僧正の書かれた本にそんな話が出てましたね。
今じゃ僧侶の結婚は常識。
こんなこと言ってたら誰も来んわな。
でも天堂と庫裏とは別棟になっているお寺が多いのは事実。

 3 は死んでみないとわかりません。(笑)
別に私は悪魔でないなら鬼神だの龍だのになるのは嫌じゃないですけど…。人間より面白いかも。

まあ、そういうわけで友達だった生駒の開山湛海さんにも。浄厳さんはさかんに「もう聖天供はいいかげん止めた方がいいよ。」とさかんに言った。
湛海さんもそのせいか、迷いだすと…
聖天様が出てきて智証大師の伝で「我を他化自在天の類のように言っているがあれは大きな間違いだよ。」といいます。「他化自在天」とはパーピヤースマーラ、つまり魔王です。
つまり魔王の類ではないぞと言いたかったんですね。

実際、三井の聖天供の次第では普通唱える大自在天真言ではなく、かわりに他化自在天真言を唱えます。怖いね。
でもこれが三井の聖天供。

でも聖天さんとテレパシーで通じ合えるんですね。湛海さんは。
私もまれにむこうからは何か言われるけど、話し合うことは滅多ない。
それにただの妄想かも・・・。
私のような凡僧がいうも愚かの極みですが湛海さんは格違いです。

さて、湛海さんですが京都の歓喜院を弟子に譲って江戸に行くため、一座修法をして聖天様とは永のお別れしようとすると、聖天は大いに瞋り、お前は我を捨てていくのか!おのれ!そのままにはしておかないぞ!とおおいに怒ります。
聖天様は嫉妬深い神様というけど、嫉妬深いというより、いいかえれば縁をなによりも大事にする神様なんですね。
聖天様は湛海さんに「お前を天皇の護持僧になれるようにしてやる」とまで持ち掛けますが、湛海さんはそんなの興味ないという求道一本の人。私が欲しいのは悟りのみと言って聖天さんをガッカリさせます。

聖天様は宿世の縁がないと拝めないとまでいうくらいです。

その後、湛海さんは江戸に行って大いに布教に尽力しますが、そのうちに病気だの災難に果たしてあった。これはやはり聖天様の祟りかと思っていたら…、またまた出てきて「我ではないぞ。あの時は怒ったけど、そんなにいつまでも怒ってはいないぞ。なんでも我のせいにするな。我が仏教の布教を喜ばぬはずはない。」といわれます。
そして「人は時に業報によって災いを受けることがあるが、それは我もいかんともできない。」といわれるのでした。

この後病気も治り、湛海さんは生駒山に「宝山寺」を開かれました。
ここでも彼はひたすら不動明王の信仰に打ち込み、聖天様の修法はしなかった。もともとお不動さんが大好きなんですね。湛海さんは。
10万枚の護摩を焚き。断食や木食までしたけど、信徒も弟子も櫛の歯の抜けるように去ってしまい、ついには寺の維持さえおぼつかない羽目に。
ここで湛海さんは聖天様の必要性に改めて気付くのです。
それまでは不動明王の力を借りて、しつこいので聖天を退散せしめようとまでした湛海さん。
聖天供再開。
そしてついに日本一の聖天様のお寺である宝山寺が生まれるのです。

どうです。
大変ですよね。
こういっては悪いけど腐れ縁の男女みたい。
この間もある聖天行者と話しましたが聖天さんて嫉妬深いというけど、もう聖天様とは関わるのやめようとするとおっかけてくるよね~なんて話も出ました。
もう行者として聖天様にかかわりだしたら毒を食らわば皿までの覚悟がないと駄目だね。中途半端は無理。
それは大概の聖天行者は感じていると思う。
こんな聖天さん。付き合っていけますか?
これから聖天供始めようとする人にはくれぐれも軽く考えない方がいいと申し上げておきます。
オーバーなこと言うなら、地獄までお供する気じゃないと。

色々聞くと聖天様に惚れられる自信がないと駄目みたいですね。
惚れられたら惚れられたで大変ですけど。
私ですか?
惚れられてる自信なんかはないですけど、まあ、末世だし、こんなのでもいないよりはマシかなとは思っているのかも。()
こんな非器の私でも何とか聖天様のお給仕をやっていけるのはやはり宿世の縁があってこそでしょう。