金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

三面大黒天にひそむイメージ


今日は近所の弟子で教会をしている方のところへ三面大黒天尊像を勧請しに行きました。
この前掲載したあの尊像です。
今日はあいにくの季節外れの雪ですが、一白の庚子の日ですから大黒様勧請の日としてはいいかなという感じです。
ただいまなんと外気は二度です。寒い!

大黒様の修法を終え弟子と歓談しているうち面白いことに気が付きました。
その弟子が「死」というイメージがとても怖くて克服したいので大黒様を祀りたかったとのこと。
そう、大黒様は原点的には死の神様でもありますね。
閻魔天と同体なのか。ともに七母天を眷属にしています。
インドではマハーカーラは死の神なのであまりお像は作らないらしいのです。
この神を見ることは死そのものを意味するらしい。
だから作らない。マハーカーリーは多いけどね。
彼女はどうしてもそこを克服したかったらしいのです。まあ、死ぬのが怖くないという人はいないでしょうけどね。
自然な恐怖なのだけどそこに不自然を感じるものがあったんでしょうね。
彼女のお父上は野辺の送りで昔ながらに河原で火葬したらしい。
そのイメージが強烈に死の恐怖と結びついているといいます。

でも三面様はの場合は左右に弁財天、毘沙門天がおいでになる。
つまり男女一対の神様。そうなると男女を左右にした真ん中の大黒天は生れ出る命でもある。
そして同時に死滅する命でも・・・。
命は生れては死にする。永遠に。
マハーカーラのカーラは暗黒の意味と今一つは時の意味。
だから大黒天は童子顔だったり、老翁のお顔だったりする・・・?
そこに生命の去来する姿がある。
上座部仏教ではそこをなんとか止めたいのですが大乗ではそのままのなかに解脱を見出す。生死即菩提。
三面大黒天は見方を変えればそういうイメージが潜んでいるような気がします。