金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

天上天下唯我独尊

今日は「花まつり」お釈迦様のお生まれになったとされている日です。
おしゃか様はお生まれになるとすぐに七歩歩いて天をさし「天上天下唯我独尊」といわれたと仏伝物語では言います。
天上天下に私だけが優一の稀有で尊い存在なのだといったというのですが、これはそれだけおしゃか様が尊いのだという意味にいわれているようです。
勿論おしゃか様は稀有で尊い存在ですが、そういう意味ではないでしょう。
おしゃか様だけでなく皆だれしも自分こそがオンリーワンの尊い存在だということだと思います。
「え、それってエゴでは?」と思うあなた。
そうではないでしょう。
まず自分が尊いからこそ自分の属する家族も大事、仕事も大事、地域や国も大事、同じ人類が大事、同じ命ある生き物が大事・・・ではないですか?
自分が尊くないなら、無価値なら同じ理由で全部無価値です。
すべての価値の本源は自分です。外に置くなら神でも仏でもありません。
それを言うなら内在の神仏ですね。自分と分離しちゃ偽物です。
凶悪犯罪などはむしろこれがわからない人間がやるのです。
価値が自分以外のものに行ってしまう。
お金とか地位名誉とかにほかに流れる。ぶれる。
そうなると本当の価値が見えなくなる。
これが父母でも彼女でも彼氏でも同じ。
まず自分の価値こそしっかり見つめないとすべての価値は一転して砂上の楼閣と化すのです。
世ため、民人のため「滅私奉公」ということも否定はしませんが、自分がそれをすることで自分の価値が大きく感じられるなら、それが本当の滅私奉公です。
だから本当は滅私じゃないね。
自分という存在の枠が拡大する。
したくもないのに強要される滅私奉公なんてありえない。
それは滅私奉公ではなくただの人への酷使。過剰労働の押し付けです。
一番尊いのは自分。でも分離するとか隔てるのではなく、そこに皆、他者をも融合していっしょに考えていくのが仏教です。
自分が大事だからほかの衆生もすべて同じように大事が本当です。
 
ほかの衆生は大事で自分は大事じゃない。

自分は大事だけどほかの衆生は大事じゃない。

自分も、ほかの衆生もすべて大事ではない。

この三つはどれも仏教の考えではないですね。

今日さっき、急にお参りに見えた方がいた。「…外でいいんです」と道からいう。「どうぞ。上がって、お線香あげて…」というけど、線香も立てないで一分もたたないで逃げるようにタクシーで帰られた。
すっごく遠慮しているというより…おどおどしてて自分をダダンと主張できないんでしょうか。
それとも無理に相談モードになったり、信者に勧誘されたらイヤだとかですかね。お金発生するとか。
そんな面倒なことしませんよ。
よくわかんない人は断っているくらいですから。
でも残念ですね。
また是非もう一度来てもっとしっかり拝んで帰っていただきたいものです。拝むのタダだし。
こういう遠慮はむしろ神仏にご無礼だね。だって、お参り来たらしっかり拝むのが大事でしょ。
…それとも私、そんなに怖いですかね。
よく「行ってみたいけど、なんか怖くてそうでいかれない」という話はよそから聞くけど…別にとって食べたりしませんよ。(笑)
ひょっとして悪いのは私か?
ま、来たくなきゃ無理に来ることはないけどね。