金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ある女性行者の話 「お前も行者なら…」


K師からはこの時に他にも心霊にまつわる不思議なお話を色々伺いました。
K師がある年のお正月に近所の神社で狛犬の前にお餅をお供えしました。そのときうっかり「犬神さん召し上がれ」と口にした。
 
そうしたらその日の夕方から高熱が出て下がらない。
自分で霊視するとなんと、狛犬と犬神が朝方上げた餅をめぐってすさまじい喧嘩をしている。
狛犬は「私の前に置かれたのだから私のだぞ!」
犬神は犬神で「いいや、犬神さん召し上がれと言っておいたのだ。私のだ。」と両者一歩も譲らない。
ああ、その責めが自分にも来たのだな。
迂闊であった…でもこうなったらもう祟られている自分の手には負えないかもしれない。
 
それで8キロだか10キロだかある道を熱でフラフラ、自転車で必死に梅本町の師匠である田邊先生のところに行くことにしたそうです。
やっとの思いで梅本院について田邊先生にこの話をすると、「なに、そんなことで来たのか。愚かな奴、お前も行者なら自分の力で何とかせよ!返れ。」とてんで相手にされず追い返された。

皆さんはこれどう思います?
きょう日はちょっとしたことでも、酷いこと言われたとかパワハラだの何だのと言いますね。
最近はどうだか知りませんが、一人前の行者は甘いこと言ってたら育たないというのが、厳しくともこの世界の常識でした。
今の方なら腹立てて「助けてくれないなんて酷い!師匠は私が嫌いなんだ。こんな冷たい人の弟子なんかこっちからもうやめてやる!」とかいいそうですが、少なくとも行の道でそんなことをいう人は誰もいない時代でした。
 極端に言いかえればパワハラ乗り越えてこそ育つ世界です。

それを今では師匠が弟子が機嫌を損ねないか…どう思うかな・・・言い方一つも心配し、顔色をうかがって物を言っている。
そんなでは居心地はいいけどとてもホンモノの行者になんか育つわけがありません。へそが茶を沸かします。

拙寺にも何人も得度した人はいますがまあ、みんな努めて優しくもの言っていますので古参の弟子はどうしちゃったのかな?と思っているでしょう。(笑)
修行の認識に共通了解のないところに厳しい指導は成り立たないんですね。
受け取り方次第でパワハラになってしまうから。
スポーツだって同じだと思う。
話題になっている体操の宮川さんの話もぶん殴る自分のコーチはそうした共通了解はあったけど文句たれる塚原理事長とはそれがなかったってことだね。それで彼女の中では片や指導、片やパワハラとなる。
たまらんな。

まあ、それはともかく、本当に育てるなら弟子だけでなく、師匠は師匠で楽じゃない、いわばきつい課題を課して恨まれながら人を育てるのが本当の師匠でした。
修験道ばかりでなく、禅宗なんかも「棒と喝が御馳走」という宗風なのにこれからどうなるんでしょうね。

話を戻します。
k師はそれでまたフラフラ帰ってきて、仕方なしに布団布いてお不動さんの真言唱えながら寝ていた。
そうしたら夜中にお盆のようなギラギラした大きなものがふたつ、ふすまと思しきところに出てきた。
K師も女性ながらのちに拝み一つで寺まで立てたというほどの行者です。
「これは魔物の目玉だな。いよいよ来たな!」
苦しい熱の下から短刀を持ち出して枕元に置いて襲ってきたら切りつけてやろうと思った。

でも…これは所詮が霊の見せる幻覚であり。騙されて家の人間でも切ってしまったらあかんと思いなおして、ついに柄には手はかけないで枕元に置いておいたそうです。
k師と目玉のにらみ合いが続きました。

そうこうしているうち一番鶏が鳴いて夜が白々と明け、…その光もいつしか消えていたそうです。
それと同時に熱も冷めて躰も楽になっていた。
結局大きな目玉はそれが犬神だったのか狛犬だったのかはわからなかったといっていました。
 
四国にはこのほかにも七人みさき、八百狸など独特のあやかしの話が満載の霊的フィールドです。
このK師は他にも夢の中でエレベーターに乗ってそれが開くと金の仏様の国、銀の仏様の国も見せられたといっていました。

当時私は20代後半。
私は学部で心理学をやりましたが、そんなものはどっかいってしまい、リアルな心霊の世界の物語に食い入るようにこの時、k師の話に耳を傾けたものです。
こうしたことが学部の心理学などより後にどんなに役に立ったか知れません。