金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

眞實の愛ってなに?

結婚の相談でよくある。

時々どんな人がいいかと問われて「とにかく誠実で自分の大事にしてくれる人。絶対裏切らない人」という答えを聞きます。
絶対うらぎらないってどういうことなんでしょうか・・・?絶対浮気しないとか?
よく真実の愛を持っている人を私はさがしているんですという話も聞きます。
本当に愛してくれる人といっしょになりたい。
まあ、まったく愛してない人とは所帯は持ちにくいわな。
大変結構ですが本当に愛してくれる人ってどういことを思うのだろう。

思うに愛に程度があったからと言って眞實も真実でないもない。
悪意で騙そうとしていないなら皆それなりに眞實でしょう。

たとえば災害に寄付をする額が千円だと眞實じゃないけど一万円なら眞實とかそれなりにある?
皆それぞれに眞實じゃないの。
千円でも、一万円でも、1000万円でも。
「それって出来る範囲でやってるだけでしょ。そんなの絶対の愛じゃない」という厳しい人もいます。

でもそこに絶対までつけてしまうと、じゃあ家や家財を売り払ってまで寄付しないと本当の愛も慈悲もそこには存在しないとかいうことになるのでしょうか?
たとえばアフリカで今子供たちが食べ物がなくて死にかけてるのにアンタは三度も食事している。
眞實の愛なら一度に減らしてその分寄付しないといけない?
車なんか贅沢だから売り払ってそれを寄付しないと眞實はない?
最終的に命までも差し出すこともいとわないとか?

ハッキリ言います。そういうのだけが真実の愛なら私にはそれは全くないですね。
第一どの面下げてそんなもの誰が人に要求できるんでしょ。
ずうずうしいにもほどがある。

やなこった。

結婚は話し戻すけど愛なんてどういう愛であれ、お互いが出し合って育てていくもんでしょ。ほかの愛、ボランティア、寄付、動物愛護だって基本的におんなじ。
初めから一方的に私に絶対の愛を誓えなんて言われてもそりゃムリでしょ。
そんな簡単に即座に大きく育たないと思うよ。やはり年輪や月日を重ねるとか。時間は絶対必要。
私に言わせれば眞實でない愛とは逆に時間の経過とともに減って枯れてしまう愛ですね。

家財道具売って人助け。それは確かに素晴らしい!
なかなかできない。
でもそれが必要の範囲を超えた家や財産ならね。
必要不可欠なものを犠牲にするのはおかしい。
必要不可欠なものを手放してしまうのは社会的責任の放棄です。

ほかにもいろいろある。地域猫ちゃんにシェルター提供したり餌やるのはニセモノの愛で本当の心があるなら飼わないとダメなの?頭ナデナデするのも愛と言えば愛でしょ。
それおかしいでしょ。