金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

電話帳は・・・困ります


今はブログだのホームページだので言いたい主張やくわしいアピールができますが、、昔は電話帳くらいしかない。
だからかなり変な電話もあって、時にはこちらが頭おかしくなりそうでした。
「あのうおいくらですか?」経験上こう聞くことから始める人は先ず実際は来ない。
値段を言うと「エーッツ、よそは3000円でしたよ。」という。
「じゃあそちらへいかれたらいいでしょう。」というと「そこは遠いんですよ。」だって・・・知るか!
長々長話するのも同じ、長話は信者以外は一切しない方針。それも必要最低限です。一応丁寧には応対しているつもりですが世間話などはする気はない。
そうなれば「忙しいので失礼します。」で切る。実際忙しいので嘘じゃない。
それでも間を置かないでかかればもう迷わず着信拒否にしています。
「あのう長話したいんだけど、いつかけたらいい?」という人もいらした。
そうねえ・・・おととい電話かけてください。

もっとすごい人は「私、失業中なんですよ。そういうの、やすくならないの!」となんだかやたら威張ってくる。
「ああ、じゃあね。うちでなくもっとお安いとこを探すのがいいでしょう。」といったら、怒って電話をたたき切る。
この方失業されたのもなんとなくわかります。

それ以来、いきなり「あのう・・・おたくはおいくらです?」から始まる方には「なにがです?」と返している。
のっけから名前も言わないで「見料」だの「祈祷料」だのと言えば「やっていません。外部の方は・・・」:でおしまいにしている。
今でも。要するにこういう方々は値段の比較検討が第一であり、信仰ではないのです。ただがいいならお参りだけでもいいわけでしょう。

驚いたのは「電話帳に来いと書いてあるが、大金がかかるか?」という年配の方のおたずね。「来いと書いてはいないと思いますけど・・・大金てどのくらいの額をいわれるのです?」と訊ねたら「五千円とか・・・」といわれた。
うちは1万円からですがそれはいわないで
「悪いけど、拙寺は大金かかりますからおすすめしません・・」・というほかない。

以来電話帳には何も載せない。
悪いが私は祈祷なんか無料が望ましいとか廉価なほどいいとは思わない。無論、同じように高ければいいとも思わない。
なんにでも適当な価格はある。それはその仕事を継続していくのに十分な価格でないといけない。
そう思う。
勿論これは金をもらうべきでないと思うときはもらわない。
それもこちらの胸三寸。「頼みます。ただし無報酬で、」とそちらからいうのは聞こえないですな。