そんな時、哲学的な答えをするのはあんまり意味ないと思うのですね。
何故なら相手は行してる人間です。学問じゃない。
学問なら本読めばいい。
知的に理解するならそっち。でもそれがいくらかでも肌でわかるための修行だからね。
仏法は「言辞の相寂滅せり」ですから。
ご本人は読んでいてこの世の中は実の世界と虚の世界がある。そんな感じがしてくると言っていた。
実の世界と虚の世界でもいいし、もっと色々あるという認識でも一向構わない。
あえて天台流に言えば実の世界が「空」、虚の世界が「仮」、
でもそういう哲学的な思弁の世界を離れるところが「中」という。
だからコイツは実践や行でないとわかりませんということなんでしょう。
一つ誤解してるのはわからないと功徳がない!と思ってること。
そんなことありません。わかろうがわからまいが功徳はある。
御祈祷も効くんですね。
それが「読誦大乗」というものです。
昔、師匠に般若心経を漢文読みするよりも降し読みで読んだ方が意味がわかっていいのでは?と申し上げたことがあります。
そうしたら、即座に「あんたみたいないいかげんなものが降し読みを読んで、それでなまじわかったと思う方がはるかに害が有る!」と叱られました。
今だって全然わかっているとは言えないですよね?師匠。