金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

因縁と大乗戒

因縁切りたいんです。とか過去の因縁が・・・
なんて苦しんでいる人いますね。

でも「三世両重の因縁」と言って、今の結果は過去の行為の果。本の原因であるカルマもその前のカルマの結果です。
ここは因縁というけど正しくは「因果」の話
ただこれだけじゃ運命論になる。だれでも原初動物の頃の行為が大本ということになってしまう。それって納得いかないでしょ。

それで横に「縁」というものがないと説明できない。カルマは及ぼす対象がないならカルマにならない。「無記」です。
アメーバならアメーバとして、恐竜なら恐竜として横に仲間やほかの生き物にに縁を作って転生してきた。
まあ動物同士の縁ってほとんど生存競争でしょうけどね。

人類は1万年の歴史しかないけどその中で横つながりが大きく作用する。竪以上に!
でないと仏道修行なんて意味なさない。
それで今世に仏道修行すれば、そうしたら縦にも仏道修行の因縁が来世はできてくるという寸法です。

だから因縁切りとかいうけど、悪い因縁は過去の行為の結果ですので、因自体はどうもならん。
新しく良いのを作るほかないんですね。本当は。
大乗戒はそういう精神でできている。
伝教大師具足戒を捨てられた。
これは駄目、あれは駄目で悪い縁を作らないようにする具足戒でなく、良いこといっぱいしたらいいんだという積極策の大乗戒をたてた。

もともと部派仏教の戒律はこの世のかかわりを最小限にして輪廻のもとをなくすこと。
でも輪廻は本当は終わらない。
阿羅漢になっても無色界に転生してもまた輪廻する。
無色界ってモノも想念も希薄だからカルマはできにくいにはできにくい。
ズット寝たきりの意識のない状態に近いかも。それが続く感じなんでしょうね。
そんなの望ましい?
私は上座部仏教は大乗とは全く違う教えだと思っているだから
大乗戒は真逆です。一切衆生とのかかわりを良い意味でマックスまでにしていく。それが菩薩行。
輪廻なんか止むわけない。
法華経に「方便現涅槃」とあるじゃないですか。
涅槃など実にはない。
全ては法身如来の教化救済の姿。
大乗仏教では涅槃をそうリフレーミングしてきたわけです。
大菩薩になれば六道全てがステージ。
そういう大乗の教え学んでいるのに過去の因縁がどうとか・・・過去だけにとらわれてちゃモノが見えませんよ。