金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

大乗の修行には志が必要

今日のちゃず先生の四柱推命教室

「人はお金儲けが目的では成功しない」というお話。

そのお金をどうする なにがしたいまでいかないとブレる。

ただただ、金を集めたい。金が目的でゴールだとつまらない「金もうけ」の誘惑に乗ってあたら金を失う。

 

そうではなくそこにはやはりその先が必要だ。つまり金儲けも目的がないものはダメ。

ただの金稼ぎはゴールとは言えない。

 

仏道修行も同じだ。仏道においては菩提心という。

いったい何のためにしたいのか?

「ただ興味本位でやってみたいだけ」などというのは実に迷惑千万な話だ。

なぜ。私がそんなことでなにゆえ時間をかけ労力を費やして指導しなくてはいけないのか。

そんな商売をしているつもりはない。

 

まっぴらごめんだ。

一切必要ない。

護摩焚いてみたいとか、ご祈祷習ってみたいとか・・・趣味の教室やお遊びじゃないのだ。

 

私の修行指導には大乗の菩薩をささえるという眼目がある。

それは私でなくても大乗の仏道指導は誰でもそうだ。

それ以外ないのだ。

 

大乗仏教の修行者、あまつさえ僧侶になっても、

公益の志がなく、ただ自分の因縁を浄めてよくしたいんです・・・とか、自分の先祖を供養したいだけとか言う、みみっちい自分個人の問題にのみ終始するならばその人には踏み込んだ修行はなにも必要ないと思う。

 

そんな人を相手にすれば指導する側もとんだ時間、労力の無駄足を踏まされる。

世のため人のため、一切衆生のためという眼目がないならそれはもう大乗仏教僧の修行ではない。

 

自行だけでいくなら在家の勤行や准胝独部法で必要かつ十分だ。他は一切必要ない。

今後はそこを徹底して必要のない修行は排除する方針でいく。

 

今後、「○○がやりたいです」といえば、

必ず私は「なんのためにやりたいのか?どうしてそれが必要なのか?」と問うだろう。

満足な答えがなければそれは教えないのだと思ってほしい。