この間修行希望の人でな半には涅槃の道に入りたいとか阿羅漢への道を歩みたいと言う人がいましたが、この人は上座部と大乗の違いが判っていない。
阿羅漢になるならタイやスリランカへ行って上座部の僧院にいかないといけない。
しかも女性だから、350の比丘尼戒を受けて、上座部的には少なくても一来果でもう一度男性で生まれて修行しないといけない。
上座部仏教では男女は宗教的に同等ではない。
ジェンダーフリーのお方がどんなに怒ろうがそれは社会的差別でなく宗教だからジェンダーとは別枠。
説明したらショックだったようです。
日本では上座部の観念と大乗仏教の観念がごちゃごちゃになっているから無理もないんですけどね。この人だってかなり知的な方とお見受けします。
しかしながら大乗経典ではアクマになるより羅漢になる方がまずいとさえ書いてあるものもあるという。
つまり他を排除した個の悟りだからです。
他者の悟りまでをかえりみないのが違うだけで悟りは悟りで同じかと言えばそこも全然違う。
皆が悟ってこそ本当の悟りだというのが大乗。そこは上座部とはまったく違う。
だから宇宙全部が悟るまでは菩薩の教化はやむことはないし、涅槃の岸に至ることもない。
そもそも大乗の仏陀からして往来娑婆八千度で涅槃に入ったままではない。
さらに法身、報身・応身の無作の三身をあらわして教化をやむことないのが本当の仏陀だとする。
こう考えれば上座部的な涅槃寂静は大乗ではダミーに過ぎない。