天部には修法上、入三昧地や入我我入観はない次第も多い。
妙法蓮華三昧経に「三十七尊住心城」というように仏、蓮。金の三部の諸尊は己心の浄土にいるので究極的には我々を離れていない。理の上ではそれを認識すればいいのですが、天部はいわば別な生き物。
そこが難しいのです。
ゆえに天台では天部を秘奥とする。
顕教では護法神としての性格から法華、般若、金光明などの諸経を受持すれば持経の行人を守るという性格から随喜しますが、密教ではそのものの仏性にアクセスする。それが天部の入三昧地というもの。
即ち天部も仏性あって行者はそこを重ねるんですね。
ですから三部諸尊と天部はそこが大きく違います。
ここができれば理屈は相手が狐だろうが鬼神だろうが同じことです。