食べてしまった鶏が前世のお父さんでその鶏が怒って取り付いてしまったという画像です。
これってどう考えたらいいのでしょうか?そんな疑問とともにおくられてきました。
この状況は民俗学で「憑霊」ではありますが、この場合は霊的なものではなく本人の罪悪感が核でできているんですね。
理屈を言うなら鶏食べて祟られるなら、この人だけでなくものすごい数の人が祟られるはずです。どの鶏が前世の親や恩人かは誰にもわかりません。
こうした思想は仏教にもともとあり、古典的に殺生を戒める教えになっているのは事実です。
この場合は中心となっているのは贖罪的カタルシスと言ってもいいかも。
この人は父子関係の過去のできごとになにかあって自己処罰しているのかもしれません。
でもこういう状況だと便乗して本当の霊もリンクしてくるので厄介なんですね。極端な場合はポルターガイストや物理現象や生理的変化も起きてきます。
勿論中心は本人の意識なのでそれが解消されればそれに伴い、そういう霊的な不思議も解消されますが、単に大学でやるような心理学のみではそこは説明つかないことになりますね。
画像では周囲でお拝んでいますが、こういう場合、有効なのは祈祷でなく供養です。
供養してお父さんに詫びるという形で意識がつながれば解消する可能性はあります。
祈祷で悪霊退散などとやっては憑霊の目的が果たされませんから、おそらくいったんは平静になっても何らかの形で再発するでしょう。
この場合、こうした憑霊現象も一種のカタルシスで必要性を満たす過程であります。