在家の皆様に本覚讃を少し解説してみましょう。浅学の身で恐縮ですが、まるっきりわからないよりはいいかもしれません。
帰命本覚心法身(きみょうほんがくしんぽっしん)
本覚の心、法身の御仏に帰命す
この本覚讃というのは読んで字のごとく、本来の覚り破我がうちにすでに備わっているという考えです。帰命とは南無の和訳で、わが命の拠り所として信仰しますという意味。
常住妙法心蓮台(じょうじゅうみょうほうしんれんだい)
常に妙法蓮華の心蓮の上におまします。
それはこころの妙蓮華台の上にいます、妙法蓮華経の真意もここにあるの意味です。
本来具足三身徳(ほんらいぐそくさんじんとく)
本来三身の徳を具足す
三身の徳とは法身仏 報身仏 応身仏のことです。
法身仏とは宇宙に見ている仏性の働きを言います。大日如来と表現される始めもなく終わりもなく、時空を超えた存在です。
報身はそれを体得されたみほとけ。無住所涅槃を証され空間を超越している存在です。
阿弥陀様のように修行の功を積んで成仏された御仏です。
応身とは我々のために我々の前に具体的に出現されたみほとけ、釈尊や分身の諸仏です。我々が信仰する観音菩薩や不動尊など個性あるみほとけもある意味そうです。
それらは同時に存在します。これを無作の三身(むさのさんじん)といいます。
それらみほとけの徳ももとより我がうちにあるの意味です。
三十七尊住心城(さんじゅうしちそんじゅうしんじょう)
金剛界の三十七尊、大日如来と四方仏その眷属も我が心の城のうちにまします。
普門塵数諸三昧(ふもんじんじゅしょさんまい)
普く人を救済する教化の方便 諸々の三昧
遠離因果法然具(おんりいんがほうねんぐ)
それらは因果とは関係なく我々の内に存在している。
無辺徳海本円満(むへんとくかいほんえんまん)
無辺の徳はすでに成っており、もとより功徳は円満せり。
還我頂礼心諸仏(げんがちょうらいしんしょぶつ)
還りてわが心の諸仏を礼拝せん