信者さんからお預かりしている訶梨帝母さん
開眼するまで日々真言を唱えようと今日から少し拝んでいますが…実によく真言が吸収されて入っていく。
この尊像は実はどこだかの境内の骨董市で三千円で売っていたのを見つけて、この信者さんが買ったものなのだそうです。
いくらなんでも共厨子の尊像が普通は三千円はないわ。
これは縁あってこそでこの人が入手したんでしょう。
良い仏像とはこういうものをいう。
でも、だからと言ってほかの人にとってこの仏像がいいとは限らない。
縁ある人とつながっているからこそ良いといえる。
大事なのは縁。
つまり祀って祈ろうとする人。祀られる神仏の尊像のご縁がつながるということです。
もちろん、訶梨帝母の尊像はどれだって訶梨帝母は訶梨帝母ですが、このような古い像には、背後にそのよって立つ因縁。今まで持っていた人や開眼した人の因縁もある。
それが仏像の個性になる。
その個性がうまくリンクして尊像はいくべきところにいくんですね。
だからご利益欲しさに金かけて仏像まつれば、それだけのことがあるかといえば、必ずしもそうはいかないですね。
縁が先にないなら無理。
特に聖天尊なんか縁のない奴がまつれば、いやがって思い切り暴れるので、古来尊像祀るとひどい目にあうといわれる所以です。
なぜ嫌がるのか。もともと在家がまつるもんじゃないからね。
それはその尊天の像にかかわった人たち、信者も開眼主もは皆聖天様がどんなものなのか知っているから、そんな在俗の家に行くのはNOというんですね。
昔、日蓮宗の寺からご利益が凄いという鬼子母神の尊像をこっそり盗んで家でまつろうとして金縛り状態になって動けなくなり、つかまってしまったという江戸時代の霊験談があります。
尊像はどんなにありがたい尊像でも働いているのは仏縁なのです。
仏像はご利益製造機械じゃないですよ