得度する人は色々、ただ得度だけの「冥途の土産」もあれば、積極的に行する人もある。色々です。
でもどんな方でも思うのは「ああ、この人拝んでもらうだけじゃダメな人なんだ。」ということ。
自分が行しないとダメなんですね。
師匠含めよその方に拝んでもらうだけでは解決しない。
そういう課題がある方なんです。みんなそうです。
潜在意識はそれを知っているから、理由はいろいろでも得度したいのだと思うくらいです。
簡単じゃない。一生の課題。
本人の意識がどこにあるのかしらないけどそれはそうなんです。
解決すると限らないけどそこに取り組むことの方に実は本当の意味がある。
むしろ取り組むための課題がすでにあるか、内包されています。
それは行者志望だろうと自行だけで終わろうと同じです。
そこを見据えられないと得度しても意味は薄いかな。
そういうと暗い気持ちになって「わたしって罪深いんだな~」と思うかもしれないけど、実際は先祖も無数ならば子孫もまた無数。
その子孫全部に均等に因縁が来るわけじゃない。
むしろ得度者は引き受けて「よっしゃ、私が何とかしたる」的に生まれてきた人なんです。決して業があるとは言っても罰を受けるに値する罪人じゃない。
むしろ一族からみたら因縁解決の希望の人なんですね。
言い換えれば天が与えた修行です。
だから「私は霊能あるので得度しておがめるようになったらいいいな~」なんて軽い動機で来る人も実は得度できたならたぶんドッカリ重い因縁がある。
プラスを積むつもりで来るけど、実際始まればプラスなんてそうそうない。
まずドカンとマイナスが出てくる。
自分ではその時まで知らなかっただけです。
時が至ればわかる。
だから得度はどこまでも軽々にすまじきものです。