星祭もしないといけないので浴油期間にあわせて十一面尊の御祈祷も一緒に念誦しています。
事実上、水歓喜天供のように両尊を同時に呼んでいます
そうすると改めて十一面観音の偉大な力を感じる。
聖天様のようにこまごまととした対応は感じないが・・・ストレートで強いパワーはむしろ聖天様をはるかに凌駕する感じすらある。
さすが十地の境涯すらを超えて妙覚に至る大菩薩と言われる存在の威徳は大きい。
これは二尊ならべないとわからない。
だが現世利益となるとまた話は変わってくる。
聖天様は人間独特の面倒くさいことにいちいち対応してくれますが、十一面様はそういう感じはあまりない。
これはつまるところ無用だと観音さまが思われる願望はいくら祈ろうがかなわないと言うそれだけのこと。
対するに聖天様はその祈願が結局ダメでもだとしても夢くらいは見せてやろうというサービスの心はある。そこが聖天様ならではの魅力でしょう。
でもこれだけは確かです。仏道である以上行き着く先は一緒なんです。
聖天様に付き合ってもらって色々わがまま言っても、観音様に感応すべく心を済ませて修行に明け暮れしても最後は一つ。
結局同じところに行く。
その辺が聖天信仰を何十年と長くしている人ならおのずとわかってこないといけない。
何尊をどう拝もうが同じです。
最期の最期には同じところへ直行するのか、回り道するのかの違いです。
むしろ観音さまの方が最終ゴールには手っ取り早い。
でも道々なるべく花も見たい、景色も楽しみたい、お弁当も食べたいという方は聖天様コース。