金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ドラマには出ないこと 2

ドラマには出ないことの続きです。

 

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ではドラマに出るとどうしていけないのでしょう。

つまり他人の人生に術者の枠を乗り越え、個人的なつながりを持って働きかけることです。

もちろん相談に訪れる方を「よくなってもらいたい」という気持ちは占い師でも行者でもあるのは当たり前ですし、そうでないならそういう仕事をする資格はありません。

 そういう意味では味方です。

でもそれはあくまで術者としてです。

 

個人レベルには個人レベルの付き合いがある。

逆にそっちに術者の顔を持ち出すのも感心しません。

友達だからと言って聞かれてもいないことに余計な霊的なアドバイスや占いの話は私はしません。

そういうアドバイスが欲しいなら恩師、恩のある人以外はキッチリお金を払ってもらいます。

 

この金を払うという行為はその額面によらずとても大事です。

仕事として責任もってするということです。しかもここまでという限界を決めてします。

好意でするなんて言ういい加減なことで責任もってアドバイスなどできません。

友達だから・・・いいやなんていうのはしません。

友人としてのアドバイスと術者としてのアドバイスは別です。

 

逆に術者の側からそうしてしまうのはもっといけない。

よくありますよね。

そうやってベタベタしてるうちに・・・

個人的に親しくなってお金の貸し借りをして焦げ付く。

果ては恋愛関係になってもめる。

どちらも術者失格です。おかしな宗教団体ではよくあるパターンです。

そういう術者は自分と縁が切れた人をグズグズ恨んだりもする。

私はそれありません。

お金のこと言うなら金の切れ目が縁の切れ目です。

(でも金さえもらえればどうであれとは思いません。また信仰を続けたいが窮状にあって・・・とかいう汲むべき事情の人は別です)

責任ということで言うなら、そののち辞めていった人がよくなっても悪くなってもそんなことは私に関係ないので。

 

 私は拙寺の主人ではなくご本尊が主人。

私はいわば執事に過ぎません。

主人にもう用がないという方に執事の私が用などあるわけない。

 

そういうわけで要は何も心を残さないこと。これを大事にしています。

サラサラ生きる。

 

 

 

以前相談にやってきてこんな方がいました。

「あのう、先生、私のおトモダチになって欲しいんですけど・・・」

どういう意味だか知りませんが、同業者でもなければそんな形で来た人の友達なんかなるもんですか。

「それは出来かねます。」とハッキリお断りしました。