羽田さんは霊能者が嫌いなんですよね・・・といわれることがある。
別に嫌いなわけじゃない。
敢えて言うなら私の嫌いな霊能者とは「身の程をわきまえぬ」がつく。
ではどういう人が身の程をわきまえない人なのか?
ドンな霊能者だろうが私に関係ないところでは何を言おうとどうでもいい。
だがお告げだの霊能だのとわが寺でそれを言いだす人は困るということだ。
それはデモンストレーションになる。
ドンなに素晴らしい霊感があっても、当院ではあくまで信徒であって霊感師としてお迎えしているわけではない。
迎えざるの師、そんな人に私は用はない。邪魔でしかない。
そういう人の言うことを仮にお世辞に一回でも認めれば、ここぞと「私の霊感は住職も認めている」などとほかの信者にも豪語して言い出す。
そういうバカが世の中にはいるからだ。
場合によっては私にも従うように言ってきかねない。
それを私が聞くとしたらどうなる。そうなればだれがリーダーだかわからないで寺は滅茶苦茶の伏魔殿になる。責任の所在もなくなる。
だからそうなる前にそういう傾向の方は有無を言わさず拒否するというのが私のルールだ。そしてなによりも住職としての義務だ。
ただその人の主観的体験を私が否定するということはそれはできない。
だから否定もしないが認めもしない。
今いったように霊感は主観の世界だ。私のあずかりしらぬことだ。
本当の霊感者とは自分でその霊能の利益を享受できる人を言う。
いわば自分の霊能のおかげで自分自身が助かっている人だ。
それ以外はただの多感の変な奴でしかない。
お気の毒な人の域を出ない。
霊感だろうがお告げだろうがそんな人間の言うことなどに耳は貸さぬ。
長年みていてそう思う。
中には「神様に羽田にこうこうするように言えとご本尊から言われたんです」などと言い出すやつがいるが、そういう人はいまのうち首を洗っておくがいい。
身の程を知らぬとはそういうことだからだ。
私もよく人の相談などするが、聞かれることには答えたい。だがどうであれ決定は本人が決めることだ。そこまでは言わない。
例えば会社経営上の相談。
どんな会社であれ、経営者は相談者たる社長だ。
私ではない。アドバイスは提供するが採用するか否かはご当人のお考え次第。
たとえ、採用されなくてもそれ自体は痛くもかゆくもない。
そういう仕事。立場をわきまえるとは一例すればそういうことだと思っている