あるご僧侶の准胝独部法の体験談がよせられました。
この方はさる大寺で活躍されていて顕密両業の修行も久しい方です。
「10日恵比寿で、14万回の準堤尊真言だったのですが
(数にこだわっているわけでもでもなく、数えられるものだけで)
夢にガラス窓の長い廊下のあるホテルの一室にいて、
なぜかそこはインドだと思われ、昼間はそこから仏跡を巡っています。
帰ってきて泊まるわけですが、なぜか日本風な室内で、
押し入れには日本の布団があり、旅館のように出して敷いて寝ます。
インドの最終日に最終日だから片付けて、掃除しようと、
押し入れの布団を全部出して、天井裏付近も掃除して、
そこになぜか竹製の1メートルの物差しが2本くらいあり、
墨壺のようなものも。
ふとひらめいて
「あ、この建物、インドだけど、日本風で、
日本の大工さんが来てつくったんだな。
最後完成して、そのまま置いていったから、
布団も物差しも、墨壺もあるのか~」と妙に納得して、
片付けて目が覚めました。
仙道で、元神だったか、
6つか、9つの部屋にいるなど聞いたことありますが、
目覚めてみて、
あー、あれは私の魂の部屋だったのかもなと思った次第です。
面白い夢でしたが、捕らわれず、
不放逸に過ごしたいと思った次第です。
やればやるほど、感謝しかない感じで、嬉しさと涌き出る慈悲のようなものを感じます。
ありがとうございます☆」
部屋はご指摘の通りしばしば私たちの心そのものの象徴として現れますね。
「やればやるほど、感謝しかない感じで、嬉しさと涌き出る慈悲のようなものを感じます。」
これは法悦というものでしょう。すばらしいですね。
熱心に行法には在家出家を問わないでこのような思いが生まれますが、ただし、あまりにこれに執着して。法悦を感じることを修行の目的としてしまうことには注意します。
ほかの数々の奇跡や奇瑞も起こりえますが・・・
嫌わず願わずです。
逆にうまく念誦できない、集中できないという時もひたすら念誦を続ければ確実に功徳になってまいります。