金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

観自在ということ

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聖天供の最期の座でなにげなく・・・

「建物は二件もあるし。跡目はないし、非法人寺院なので養子にでも来てもらえないと寺は続かない。しかしその当てもない」…どこのお寺でも悩む後継問題

たびたび思いだしたように、ここの後どうしようかと思っていたら・・・

霊狐の笑っていわく

 「お前のものは何もないのだ。

本来無一物だ。無所得だ。

なにものの誰のものでもない。

その意味を言えば本来、自由になる物事も人間もそのような物は本当は一つもないのだ。

なにを持っても自由にはならぬ。その身一つでさえ本当に自由にはならないではないか。

だから無一物。

 

あると思うのが錯覚だ。

すべては自ずからあるのみ。そのように観る。

それを観自在というのだ。

思案するもよいがそれを根底におけ。」

 

といわれた。

やはり霊狐さんは知者だ。少なくとも私よりははるかに。