聖天供の最期の座でなにげなく・・・
「建物は二件もあるし。跡目はないし、非法人寺院なので養子にでも来てもらえないと寺は続かない。しかしその当てもない」…どこのお寺でも悩む後継問題
たびたび思いだしたように、ここの後どうしようかと思っていたら・・・
霊狐の笑っていわく
「お前のものは何もないのだ。
本来無一物だ。無所得だ。
なにものの誰のものでもない。
その意味を言えば本来、自由になる物事も人間もそのような物は本当は一つもないのだ。
なにを持っても自由にはならぬ。その身一つでさえ本当に自由にはならないではないか。
だから無一物。
あると思うのが錯覚だ。
すべては自ずからあるのみ。そのように観る。
それを観自在というのだ。
思案するもよいがそれを根底におけ。」
といわれた。
やはり霊狐さんは知者だ。少なくとも私よりははるかに。