昔、私の師匠の下で大きく会社を伸ばした社長さんがいました。
この人上がある日よせばいいのに霊能者を尋ねた。
別に悩みがあったわけじゃないと思います。誰かのお誘いだったのか。
自分の今までの信仰の話をしたら、その霊能者は「あなたは聖天様のおかげというけど違う。あなたを守っているのは聖天さんなんてちっぽけな天部なんかじゃない!御守護神として大日如来がついている。」と言われて舞い上がり、その勢いで長年世話になった聖天信仰を簡単にやめてしまいその後、あれよあれよという間もなく急激に転落してしまい、ついには早く世を去られた。
私はこの話を若いうちに師匠から聞いていたし、その末路のご当人もお顔は知っていたので世間で言う「霊能者」などというものには非常にいい加減なものという忌避感がまずあります。
勿論、霊能や霊感をあたまから否定したりしないし、霊能のある素晴らしい人も多勢みてきました。
だけど、そういう霊能者巡りをしている人でよくなった人はほとんど聞かない。
これは回っている側にも大きな問題がある。
腰が据わって一人の先生について信を養いずうっと指示を仰ぐのではなく、おいしいこと言われる方へと心が動いてあちらの霊能者、かと思えばこちらの先生とさまよう。
また霊能者とはいっても霊能もあり祈願もできるなら解決策まであるのだから理屈はまだ分かる。
だが大概は其の語るところは吉凶問わずに言い放しの人だらけだ。
そんなのでよくはならない。
占いには占いの原理と論拠があるが霊感はない。
なんでも霊能者任せだ。
結果としてただ迷いが増えるのみ。
昨日も御悩みの方がみえたので少々難しい問題だから解決の一助にと上願寺の聖天信仰を紹介した。
「でもまた霊能者巡りをするなら聖天信仰はしないで頂きたい。」と後で紹介者に釘さした。
船頭多くして船山に上るだ。
信仰にならない。
だから「霊能者巡りをつづけるなら、それをやめなさいなどとは言わない。その方のご自由です。好きにしたらいい。
だけど聖天さんは絶対にやめておいてください。聖天さんはきつい神様です。取り返しつかないことになってももうその時はどうもなりませんので。」
と言っておいた。
そういう人の中には聖天信仰していいか悪いかをまず霊能者に聞く人もいる。
そういうものにつける薬はない。