何でもビッグになればよいとは思いません。
たとえばお寺にしても天下の大寺院の様なところの住職になれば拝むより、経済的なやりくりや寺院経営を考えて色々対策したり、お役所や関係寺院のエライ方などに会うのが日課でしょう。
とても御祈祷、相談なんかメインにしてはいられない。
このあいだも伊勢の皇大神宮に連れて行っていただいて、「ここの大宮司様はたいへんだろうなあ。ご遷宮のこともあるし・・・ああ、やだやだ。御気の毒だ。」というような非常に罰当たりなことを思ってしまった。
まあ、「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」でお許しください。
やはり人には器という違いがある。
そういうビッグになる人はそういう器なんですね。
究極、存在するだけの仕事というのもあると思う。
それはそれで超難しいよね。
会社も同じ。
何の業種でもビッグになればなるほどやることは同じ。
経営の算段と折衝のための毎日です。
私は現場が好きですのでそういう意味ではビッグになりたいとかは思わないですね。
どの世界にも現場好きはいる。
ビッグな社長になっても工場でぶらぶらする人いますね。そういうのがいいなあ。
そういう基本忘れてはいけないと思う世界はあるよね。お医者さんだって理事長とかになって部屋に座ってるよりより患者の治療が好きな人はいます。
教育者でも教室や担任が好きな先生もいる。
お金も安心して暮らせるなら金持ちになりたいわけでもない。
それでいいし、とくに豪くなりたい、有名になりたいとも思わない。
みんなが知ってるなんてきっとメンドーでしょ。
売れてる芸能人なんかみるとさぞ大変だね。
やなこった。気楽こそ宝!
でもそれは杞憂ですね。
そんなエライものには絶対ならないから安心なのです。幸いそういう器量はない。
そういう喜びもあると思います。