金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

「仏所護念」の御祈祷と「主の祈り」

仏所護念とは「仏さまのご加護を乞う」というだけのシンプルな祈りです。ああして欲しい、こうして欲しいという具体的なものはない。
これが祈りの原点です。
「仏所護念「」の祈りを始めた方からのメールです。この方は会社の人間関係が主訴でしたがそれをどうにかでなく観音様の御守護を頂くということで先月から祈願を開始しました。
 
「ご報告です。
来年度に向けた人事異動の発表がありまして、
なんと、自分がやりたかった仕事はそのまま継続しつつ、人間関係で躓いていた部署から離れて違う部署で働けることになりました。
しかも異動先の部署の方々は過去仕事をご一緒したことある方々です。本日そちらの部署にご挨拶に伺ったところ、大変歓迎してくださいました。
私を知る他部署の方からも非常に良い配置になったとのお声を頂いています。
 
仕事を取るか人間関係を取るかというところが、どちらも上手くいってしまい、自分の想定を遥かに超える良い結果となりました。
 
今回の反省を活かし、次の部署では精一杯頑張る所存です。
私の気持ちを汲んでくださった上司の慧眼にも感謝ですが、上司がこのように配置してくださったのは諸尊の働きかけあってのことと思います。」
 
キリスト教には「主の祈り」というのがありますね。

『天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)のものなればなり。
アーメン。』
 
というものですが。
ミッション系の小学校に行っていたため、これは毎日唱えさせられました。
 

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しかしながら、この祈りには「祈りの原点」があると思うのです。
「仏所護念」ということも祈る相手が仏さまであるということでほとんど同じです。
 
良く祈願霊場に行くと、小銭を放り込んでありとあらゆる欲願を厚かましく並べ、まくしたてる方もいますね。
ありとあらゆる自分の勝手なのぞみごとのみ並べたてるのは自由ですが届くかどうかは別だと思うのです。