金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

青面金剛の思い出

 見ざる言わざる聞かざるのイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

私の師匠の師匠、松山の不動精神教会の大西先生は強い咒力の人でした。

霊験が即座に出せた。

留守中には本尊に備えたお洗米を病人などの依頼に与えよと言って出掛けたが、実際それを飲んでよく病が癒えたそうです。

師匠が小僧時代に「お米なのになぜこんなに効くのでしょうか?」ときいたら

大西先生は「当り前だ。これはワシの命を削り込んであるのだ」と言ったそうです。

四国の石中寺の中嶋庚岳師の弟子で、中嶋先生はというと青面金剛の行者でした。

庚岳という法名も庚申からとったんでしょうね。

大西先生は不動行者で脇仏に石鎚山蔵王権現と役行者をお祀りしていました。

青面金剛は本尊ではなかった。

でもお札の内符を師匠が見たら書いてあるのは青面金剛の梵字真言だった。

でも大西先生は梵字に明るくないのでそれを不動明王の慈救咒と思い込んでいた。

それでもよく効いた。

「一体どっちが働いていたのでしょうか?」ときいたら

「それは分らないけど、大西先生自身にはそういう明確な区別の思いはなかったんだろう。」といわれた。

ちょっと聞くと乱暴で無教養のようだがこれが曼陀羅の考え方なのです。

何様もヘチマもない。マンダラ全部がひとつのほとけだ。

この観念は個別の尊を拝むにでも非常に大切です。

常に一尊の後ろにはすべての仏が隠れていると思うべきです。

だからわが師も浴油の真言は通常の聖天真言だけでなく、療治病咒でも鎮宅咒でも妙見真言でも何でも必要に応じて使っていたらしい。

・・・らしいというの本人ははっきり言わない。

師匠は絶対にご祈祷してるところを私に見せたことはない。

それで「教わるものじゃない。自分で盗んでみろ」といわれた。

だから最後の方はドロボーの修行でした(笑)

ドロボーと言ってももちろん次第書を盗むとかではない。

次第書なんか見ても何も書いてはいない。

当たり前のことだけ。

だから形の上で盗むものはなにもない。半ばテレパシーみたいにして盗む。

それが最後の方の修行。教えないことをいきなり「やれ!」と言われる。

できなきゃ何をしてたんだ。コイツは駄目だな・・・となる。

 

人型もずっと真ん中を「カ」という梵字を書いていた。

お次第の人型加持の方は本尊は不動明王になっている。

不動明王ならカーンという梵字だ。どうも少し変だ。

間違っているのか?

師匠は常にこれは間違いと思っても軽々に直してはならない。術の世界はわざわざそうなっていることもあるのだからと言っていた。

そうか!青面金剛の種字だ!

と思ってそれを言ったら、ニンマリ笑われた。