最近知った方のお葬式が相次いでいますので、こころが重いのですが・・・
お葬式と言えばやはり人により程度の差はあっても人の臨終には異界の者が寄る。ご先祖も来ますが鬼魔の類もくるのでしょう。
「大日経疏」の荼吉尼天の項にある通りです。
だからお棺の上に守り刀(密教的に考えると不動明王の三昧耶形)を置いたり、会葬の方には鬼魔がついていかないよう塩を配るなどの陰陽道の手法を用いるのでしょう。
先にも言ったように私は霊能はないので霊狐さん経由で霊的なものを見せてもらうことはできる。
ただし霊狐さんが同意なればのことです。もっとも私自身は凡夫なので見せられていても見えていないものも沢山あるかも。
御葬儀でそれら鬼魔が全くちかづけないで外できょろきょろしているケースもある。そういう方は信心篤く徳が高いのかもしれない。
お寺の葬儀や高徳の方では全くそういう鬼類のみえないケースもある。
(今回の長吏様がそうでした)
こういうことをみれば思うにやはり葬儀は梵場が一番よろしいのではと思う。
斎場でするならその分シッカリ拝めるお坊さんにお願いしたい。
密教では葬儀は阿闍梨位の僧侶のすることと言うのもわかる。
お葬式も祈願も本来区別はない。
お葬儀がきちんと拝めるなら当然祈願も霊験はあるし、祈祷がしっかりできるなら葬儀もできうる。
よく「葬式坊主」などと揶揄する言葉もあるが、葬儀を本当にできるのは一人間の僧侶だけでしょう。これは生中な修行ではできないと思う。
そこを考えれば無宗教の「直葬」などは鬼魔はしたい放題だと思う。
キリスト教や神道のお葬式は知らないが、お葬式である以上何らかのシステムはあると思う。
初七日に不動尊を拝むのも私なりにわかります。
鬼魔の類は別にご遺体を食べるわけではないけど・・・死者の肉体が崩壊する臭気を吸いに集まって亡くなった新仏の得脱の妨げになる。
不動明王を彼らは恐れるので逃げていく。また同時に火炎結界をはるので寄れなくなる。
でも、七日後なのは・・・以下は推測です。
人が亡くなる時は有縁やご先祖がやはりお迎えに来るのだと思います。
始めから結界してしまうとそういう皆さんも来るのが困難になるだからだと思う。
うちの総代さんが亡くなるとき、理趣分を立て続けに三巻あげたけど、もうベッドの周囲には何か黒い人だかりが大勢できているのが見える。
私が何とか逝かせまいとすると「なんだ?なんだ?」「この人わけわかっていないな」というのが伝わってくる。そう、もうそういう時が来ているんですね。
この前は韓国籍の方を拝んだら、むかしの両班(貴族)みたいな立派なお姿の方が頭に鉢巻みたいのした従者らしき人を二、三人を連れて立っているのが見える。
それでもうなくなる時期だったんでしょう。あとでそのお話をご遺族にしたら見た通りの衣装の方のお写真があるそうで。それは村長をしていた方だそうです。
そういうご先祖などは普通は臨終に近い段階でもうお迎えに見えますから後から来ることは少ないとは思いますが・・・
お不動様ですから邪気のない人を疎外はしないでしょうが、そこをはじめから不動明王で結界してしまうと聖衆ならぬこういうご先祖も驚いて近づきにくく思うのかもしれません。